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2008/11/19(水)
天誅時代
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加藤智大の秋葉原通り魔の際には、怒りの矛先を間違えるな。どうせやるなら天誅をと言ってたので、いざこういう事件がおきると疑われないか不安です。30台に見えないこともないし、私にはアリバイがある。疑うなら、親族(母)の証言はあてにならないので、日高町役場のM課長に聞いてくれ
http://diary1.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/hibisama/?Y=2008&M=6&D=12
さて、これから先はヤケになって無差別殺人から、ヤケになって必殺仕事人になるという予想は当たった。みな、ヒーローになりたいからだ。実際の所、単なる物取りの可能性や、体制側の口封じの可能性もあるし、現状の情報ではわからんのだけれども、しかし模倣犯はでるだろう。
デス・ノート的な悪事の抑止力てのは魅力的だし、正当防衛の拡大解釈として自らの生存権を脅かす富裕層に対し反撃を試みる権利というやり方もわからんではない。奥田や御手洗が殺されれば飯が上手いだろうし、第3の事件の期待にわくわくしているのも事実だろう。とくに、私は日本の抵抗のしなさ、権利のための闘わなさにもどかしさを感じてるから、悪い体制は革命で倒す権利はもっと主張したい
しかしながら、法を犯してないけど恨まれるような事をしただけで、さらに富裕層(しかも自ら望んで金持ちとかじゃなく富裕層の子供とかね)てだけで危険となると、それもまた自分が富裕層になったとき困るし、南アの高い壁を作る富裕層の住宅街みたいな世界になっていくのは不健全だ。暴力を肯定してしまうと、自分が反撃食らっても文句が言えないてジレンマはでかい。私はMだけど、それは精神的なもので具体的に痛いのは嫌いだしね
ようは統治者が天誅など起こらない社会を作り、天誅がおきても国民が喝采するような社会にしてはいけないのですよ。しかし、どうだ。実際は国民は飯が上手いて人になってるわけでしょ。恨まれる見当がつかないて発言が本気だとすれば、そうとう危険である。ならば、警備などしなくてもよいはずだし。ストーカー被害を届けてもすぐ警備は付かなくても、役所にはすぐつくわけだし、それがまた第2の模倣犯を産む。
なる術は、やっぱりさっさと解散してすっきりさせてほしいのだが、怪我をかいがと読むようでは。恐ろしきかなである
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