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2008/02/12(火)
巨星堕つ
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偉大なる指導者、高間響総裁閣下の父君であらせられる高間功は昨晩2月11日の20時9分に亡くなりました。劇団の宣伝のために書いている日記に私的なことを書くというのは本分に反するかもしれませんが、書いとかないとやってられんのもあるし、代表として書いておきます。
と、いうことで残念ながら間に合ってません。しかし、「ダメだこりゃ」という情報を聞いてから3時間くらいということなので、どうあがいたところで間に合わなかったのでやむをえないでしょう。元々本州に出て夜中に爪を切ってる時点でこういうこともあるうえに、現代医学治らない病気がわかって1年半近く、起死回生のために行った治療が効果が無かったとわかって1年弱、さらに去年の8月にに再度倒れてからは常に覚悟はしておりました。 それゆえに、常に別れる際はこれで最後と思って別れてましたし、こう書くとあれだけれども生きているうちにこれだけは話ときたいとかしときたいてことは、はっきりいってプロレス好きの父に前回の芝居のDVDを見てもらいたいてだけでした。さすが、プロレス好きだけあって「俺ごと刈れ」で笑ってくれたのは嬉しかった。他に無いのかというと、もちろんくだらないプロレス話や時事ネタはもっともっと話したかったのですが、さりとてそれは言い尽くして欲しいというものではなく、長生きしてもらって行くたびに成り行きでするものだから、期限が決まっていればしようがないので話ときたかったことはないです。また、私はいまだ劇団で満足な収入を得られず、バーテンダーとしても経済的自立していなかったり(保険証も親父の扶養家族なのでこれから病院にかかれないぞ、困ったな)、世間では結婚した姿をとか孫の顔をとかもあるようですが、そういうことを望む親でもなかった(好き勝手やれや、助けてはやらんけどというニュアンス)こともあり、別にそこも大丈夫だと思います
死に目にあってないことに関しても、これを言ってしまうと京都に住んでることじたいが間違いになってしまいます。もちろん、病気がわかった時点でしばらくこっちに戻る選択肢もありました。たとえば、確実に2月前半だとわかればそうしていたかもしれません。しかし、けっこう持つ可能性もあり(逆に昨年中てのもあったわけだが)その間中こっちで生活していては、京都での生活が破綻してしまうことを考えると出来ませんでした。ご存知の通り笑の内閣は昨年9月の公演で、各方面から注目を浴びまして、演劇界内での評判や幹部と話し合った結果「この機を逃すと売れない」という見方が強い事から3月の公演に踏み切りました。結果、雑誌の取材も来ているなどのことを見てもその判断は間違っていなかったと思います。
なによりそのことに関し、理解を示した親父は偉大だと思います。そもそもが、卒業して続けさせてくれることじたいがありがたいことであり、体調不良なっても「飛行機代もったない」と憎まれ口をたたき、昨日ちょっと一段階悪くなった13時くらいの段階(そこで行けば間に合わない事はなかった)で「今日すっとんででも帰るか」というと「練習あるやろが、帰ってくんな」と言った親父はほんまにありがたいことです
間に合わなかったぶん、昨晩のうちに副代表のちっくにここ1週間くらいの練習方針についてはだいぶ詳細に話し合えたので、安心して委任する事ができました。出来ればもっともってほしかったけれでも、公演のためならある意味危険な状態で1週間2週間続いて、帰れんて状態のが困ったわけだし。なにより、京都に帰った時なにもすることがないのでは悲しくてしょうがないのだが、すぐ練習があって稽古場に行けば馬鹿話が出来て、1月後にはお客さんの前で馬鹿がやれるのはとても楽しみなことだ。
と、いうわけで別に中止も延期もなく予定通り公演しますので、確かに演出が予定外に一週間いないのはリスクだが、元々プロレスに関してはあくまでプロレス部に委任するつもりだったり、芝居部分だって私がいないくらいでなんともならんような役者ではないのでクオリティが下がる事はないと思う。役者スタッフのみなさまにご迷惑おかけするが、力を貸してくれると信じています
親が死んだ日なのにアホなこと書いているけれども、はっきりいって悲しいです。悲しいからこそ人を笑わせるネタの一つでも書いてないとやってられんのです。だからこそ、今の私を慰めるのは慰めの言葉ではありません。これを見た方が一人一枚チケット買って(いや、友達もぎょうさん誘って)、公演観に来てくれて目いっぱい笑ってくれることこそが重要なのです。だからこそ、みなさん観に来てください。お願いします。今はそれしか書けないや
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