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2008/02/13(水) 総裁、葬儀屋が平井堅に似ている件について考察する
  (タイトルは本分とは一切関係ありません、しかし似ているのが気になっているのは事実だ。あと、坊さんの頭が以上に小さくて、顔もチベット系なのも気になっている。チベット仏教ではないだろうけど)


 明日は友引なので、葬儀をやるわけにいかんてことで通夜が明日になったので、今日は得にする事はなかった。まあ、ダラダラしていた感じはしないが、たいしたことをしてないので結果的にダラダラしていたのと同じだ。別に気が休まらなくて疲れたわけでもないし。ただでさえ3連休中は仕事と練習でロクた寝てないし、昨日はナギサ終ってそのまま来たから眠くて仕方無い。今日から通夜だとドタバタしたし、助かったな

 まあ、意外と取り乱したりはしないもんだ。私と父はたぶん、普通の24歳と53歳の父と息子よりは仲が良いと思う。親父は私のことを会うたび怒り「死ね、ボケ、カス」と酷評したが、実際はかなり甘かったし、私も親父に感謝の言葉など一度も述べたことはない(頼んだ物買ってきれくれたとか、誰がしてくれてもお礼をするレベルでのことは別ね)が、教員ということで平均的な父親よりは一緒にいる時間が長かったこともあり、ぎょうさん旅行も連れてってもらったし、かなり好きな親父だった。それでも、友達から辛いとは思いますがとか言われると「いやいや、それほどでも」と言いそうだ。
 
結果的にはたぶんもうもたんて一報を聞いてから三時間だから、元から間に合わないこともあり、聞いた段階でも「さて、明日帰るには色々処理しないと」とちっくに劇団の引継ぎ事項を伝え、まあたぶんもたんだろうしスーツ着てかないとと着替え、脚本は持って帰らないととか、飛行機で読む本はとか、せっかくだし家でビラも見せびらかそうとビラもったり、この前お客さんから借りたシティーボーイズのDVDを前帰ったときみたら母が気にいってたから、別な年のも持ってこうとか、17日まで帰れるかわからんし市長選の不在者投票しなくちゃと区役所まで行ったり(電子投票だったよ、びっくり)、けっこうのん気なもんだ。

 一番ドキドキしたのは仕事終ってメールあけるとき(どうせ仕事中に今死んだて連絡着ても間に合わないし、逆に仕事中に関係無いメールでもはいるたびにドキドキして仕事にならんからあえて携帯は事務所に置いてたのだ)でそれはさすがに先にちっくに見てもらったが、そこでは連絡が入ってなかったので(結果的には特に配慮したわけでもなく母がメールしてなかっただけなのだが)、まあとりあえずはまだ持ってるか、でも山は越したならメールはするだろうし危ない状態ではあるのだなと思ったので、早く早くと思ったがさりとてどの交通機関かてわしが願っても早く着くわけではない。とにかく寝てないので、関空行く特急も飛行機もひたすら寝た

 で、千歳について迎えに着てくる伯父に連絡したら「色々あって出発遅れてあと30分くらいかかる」といわれた。ここでまだ生きてるなら、一刻も早く病院に連れて行くはずだから遅れてるてことは「こりゃ死んだな」とわかった。で、なにをしたかと言えば「帰って忙しくなって食いそびれるかもしれんから、どうせ伯父さん遅れるなら今のうちに空港でご飯食べよう」だった

 家に着いて、遺体と対面してようやく悲しくなった。なにせ、まともに遺体をみるのも記憶があるうちでははじめてだなうえ、前あったのが2週間前にもかかわらずそれからびっくりするくらい細くなってたので(クビが細くて繋がってないように見えた)とまどったが。猫が死んだ時に死体が冷たくなる事や死後硬直することを体験してなかったらもっとたじろいでたとは思うので、猫でも体験しといてよかったとは思う

が、死ぬ間際はほんまに苦しそうだったようだし、電話した母も取り乱してたので居合わせなくてよかったなあと思った。その間に仕事して、お客さんと話して、劇団の引継ぎして、飛行機乗って、間接的表現で死んだ事聞いてと何重もクッションがあったのですんだと思う。

 で、それから1日すごして、どうかというと、なんか思ったより悲しいと思わないものね。いや、悲しく無いわけではなくて父のことを考える時は涙がボロボロでてきるのだが、、けっこうそれ以外のことを考えてられるのだな。町内会の人と葬儀の打ち合わせをしていると、つい笑いをとりにいくし、親戚や弔問客の中に懐かしい人がいると楽しくお喋りするし。お喋りも間で父の話になるとすごく悲しくなるのだが、自分の近況とかになると楽しくなる、落差が急だ。眠いからよく寝てたし、腹減ったらよう食うし、本読んだり、Lマガの編集者と雑誌記事の打ち合わせもすりゃ、役者の出ハケ表つくりやら、スポンサー獲得電話かけやら劇団の仕事もしてたし。

 はっきりって、前の彼女やその前の彼女と別れた時のがよっぽど悲しくてよっぽど生活が破綻してたと思う。なんというか、悲しいと思った瞬間の悲しさは今のがかなり上なのだが、彼女にふられた時の場合悲しいと持ってる時間が長いというかなにをしてる時でも悲しくて楽しい事してても楽しくない感じだったが、今は別な仕事もしてるし本を読んでいる時はその本が楽しい。

 覚悟してる期間が長かった(昔、親父の乗った飛行機が一時行方不明になった時のような突発的な時のがパニくったし、結果なんでもなかったのに涙の総量は多かったきがする)のもあるし、誰も悪くないしょうがないことだし(前の前の彼女にはしょうがないではすまされないことやられたからね、憤怒が入らない悲しみならまだ楽だわ)

 一番は、まだそばにいるからかもしれんがね。遺体とはいえ。死体は怖いかもと思ったが、親だと全然気持ち悪くないもんだ。本当は今のうちにもっと見たり触ったりしときたいのだが、それやるとすごく悲しいからあえてしてないけど。彼女の場合いなくなるのだが、今はそばにいるしな。だから、出棺したらわからんかもしれん。


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