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2008/03/29(土)
人の噂も四十九日
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残務処理もせずにゲーム三昧、決算とうちあげの段取りとアンケート分析しなきゃならないのに、四国統一後は、毛利と同盟し、小競り合いしていた宇喜多討伐で岡山から本州に上陸、姫路城の赤松→石山本願寺と進んで紀伊半島で勢力を伸ばしていた雑賀衆をとりこみ、いよいよ信長と全面対決。二条御所を攻め落とし、近江・丹波までは制圧し、孤立した丹後をせめたら、越前方面・美濃方面・伊勢方面の三方向からどう進行するか。まったく、社会人になってからするゲームではない
で、こんな生活しているのは良くないからではないが、もともとの予定通り四十九日で北海道に。しかしまあ公演終った後でよかった。1週間早く死なれてたらでれへんかったわね。
お芝居したおかげで、親父が死んだ悲しいと感じずにすごせた。この49日間中10日ぐらいは、1日中親父が死んだということを忘れていたと思うし。まあ、思い出しても日に数回程度で済んだのは助かったわね。
完全に残務処理が終ってからゆっくり帰る方が楽(たぶん、近いうちにまた長期ではかえる)ではあったが、こういう法要イベントてのは、いわれがどうこうというより49日後くらいはいったん帰って来いという意味でやってるのではないだろうかね。
家に帰ったら仏壇も来ていた。洋風でお洒落な仏壇であった。家自体が普通の仏壇があわなすぎるのでおかんが洋風なのがいいといったのと、もしもの事があった時、わしが京都に持って行きやすいように軽いのにしてくれと言ったのでこうなったようだ。納骨も明日にはしないようだ。そもそも親父は次男だから入る墓がないし、どうも法的にはおいといて良いし、親父が好きだった場所に粉にして散骨でも、共同墓地でもいいらしいのでこれからよい方法にするとのこと
そこらへんは、科学的・合理的な両親でよかったと思う。親父は生きてるうちに自分のために色々してくれるのは喜んでくれたが、故人のためにどうこうを好む人間ではなかった。死んだら無、そのためにどうこうはやってくれるな(「戒名なんて金かかってばからしいからすんな」とか言ってたし)、理科教師としてその生涯をかけ、教え子に騙されたらあかんと、アコギな霊能者と戦った男だ。ならば故人のために儀礼にのっとったことをしては意思に反するということで、もう母とわしの都合でやることになるであろう。
おかんは、これを機に自分の葬式は仏教形式にはするなとか、モーツアルトのレクイエムをかけろとか、合唱をしてくれとか明確な遺言を残しているようだ。これで世間体を気にせずわしが演出できることになるだろう。わしもきちんと書いておこうと思う。と、いうか意外とこうせなあかんと凝り固まってるだけで、葬式も自由に出来るてことが世間に認知されたらそうるつ人は増えないものか。ウェディングプランナーみたいに、葬儀プランナーも商売にならないかなあ。お芝居そのものじゃなく、イベントを企画・演出するようなことで飯を食いたいというのが最終的な我々のやりたいことなのでどうにかならないものか。私の今一番好きな裏金融漫画ミナミの帝王は、今悪徳葬儀屋の話をやってるのでうまく参考にしたい
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