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2009/04/24(金)
2月11日に帰ってない言い訳と、今回帰った成果
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さて、京都に帰りました。10日は長いと思ったが、公演準備のためだったのであっという間の帰省だった。おかしいなあ、供養そういう行事もなにもしてないはずなのに、まあなにせ、1周忌にも関わらず命日帰ってないで、演劇フェスティバルでてハムレットプロレスしてたくらいなのであったとしてもしないだろうけど。いっとくが、私が親不孝で欠席したのではなく、1周忌じたいなったのだ。親父は唯物論者で無神論者だから、葬式なんかいらん、戒名なんかいらん、墓なんかいらんといとったので、気にせず芝居優先して受賞暦をとったんだからその方が喜んでるはずだ(なんて思うことじたいがナンセンス。死んだら無であり、親父の意思というのは死んだ時点=もっというと死ぬ1時間くらいまえに意識不明になった時点で消えているのだから、その方が喜んでるとか悲しんでるとかなんてない無だ。親父は法律上有効な遺言状を残してない以上、死後まで尊重される意志は存在しない。だから、葬式なんてしなくていいという意思も、親父が死んだ直後は悲しいわ動転してるわでそれを周囲に納得させる労力が母にも私にもなかったので、そこは生前に意思には反するけど、申し訳ないとは思わずに普通に葬式はしたし、1年たった後なら落ち着いてるから1周忌はパスしたりしますた)
てことで帰ってる間は、ディベートの進行表の作成、8月むけの短編の執筆、HPの一部修正(第9次の写真と、ディベート関連の記事を書きました、リンクとかデモとかも一部直してますよ、あいかわらず手抜きHPだけどさ)、各種書類作り、前回アンケートの集計、DM作成ととにかくやることが多忙、特にDMがめんどい、金かかるし。うちも障害者団体て虚偽申請して、障害者割引でDMを送ろうかな。やはり親父がいないとあかんですな。親父の出勤前に取り合えず起きて飯だけ食うし、4時半に親父が帰ってくるから(小学校教員なので早いのだ)、パソコン使うし、その前にパソ作業は終えて、それからは別な作業といった感じで、帰省中も張り合いを持って生活できるが、いんとあかんわ。
とにかく、今回の帰省中に、スタッフ関連は固めるを目標にいったので、帰省最終日はまたも札幌に行った。ZOOや昔の友人のツテでスッタフさんを紹介してもらう。
照明の方とは残念ながら会えなかったが、舞台と音響の人にあって交渉ができた。舞台の方は、舞台監督も兼任してる方であること、ZOOにある備品だけでは、確実にリングが作れないため、現地でで配する人が必要であることなどから、お願いすることになると思います。音響は、こっちから連れて行くか、現地の人を雇うか迷い中です。素材集めと編集はこっちでやってくけど。オペだけなら、暇そうな友人にやらすけど。マイクの導線が必要だし、専門はもってかなあかん。正直、なれてて好きな、千英ちゃんや神田川を連れて行きたいと思いつつ、あった舞台の上田さんも、音響の橋本さんもいい人で、この人たちと仕事したいと思わせる魅力的な人たちだった。もし、こっちで音響を雇って、照明は連れて行ったら、音響も照明も橋本さんになるな、さらに源氏さんまで来てくれたら、ややこしいことこのうえないぜ。
お2人は、私の高校時代の演劇部仲間と親しいということもあって話も弾んだ。社交辞令かもしれないけど、うちみたいなところは札幌にはないので、楽しみにしていただけるようだ。どうも、私と同世代は札幌演劇界では谷間の世代らしくめぼしい劇団がないらしい・・・・札幌の残ってればよかったな。京都じゃ、同世代にありすぎて邪魔くさいのに
そのご、第1次内閣にも出てくれた演劇部時代の先輩に会って、凱旋の報告。そして、夜はクラスの友人と宅飲み。そもそもはこいつらと飲んでいて「お前北海道でやるなら見に行くわ」と言われたのがきっかけみたいなもんだ。凱旋できることをよろこんでくれてうれしかった。遠征ができるクラスの劇団ということで、「え、もう演劇だけで食えてるのかと思った」とか実態以上に売れてると思われてるのが、ちとヤバイが。まあ、確かにうちの規模で北海道遠征するなんて普通ありえないからねえ。
また、準備で今年もちょくちょく帰ることになると思うが、楽しみだ。懐かしい人たちをめいっぱいよんで、絶対笑わせたいです。次は夏くらいに帰って、スポンサー集めだ。なじみの店に「お久しぶりです。金出して」ていっぱいたかってくるぞ!
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