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2009/07/11(土)
背広と選手
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私は薄情な奴なので、親父が死んでからあんまり「会いたいなあ、話したいなあ」とか思わなかったが、三沢の死の件はすごく話したい。こんなに話したいのは死んでからはじめてかもね。常にあらゆる人に批判的な親父のことだから「太りすぎだ、練習しないからだ」と憎まれ口をたたきつつ悲しんでいると思う。
さて、ノアの新体制は、早くも百田前副社長の辞表ときなくさくなっている。
私のプロレス好きてのは特殊で、試合内容そのものより、そういう派閥争いとかが(リアルにある内部抗争と、フェイクでつくってる内部抗争が交じり合っているのがなおおもしろい)好きなのだ。野球だってサッカーだって、試合そのものより人間関係とかそういうのが好きなのだ。
てことで、ノアの仲田龍をはじめとした緊縮財政・現実路線の背広派と、小川良成・小橋・百田ら選手が主導権握る派の争いがけっこう激化していて、三沢が間に入ってという話は前々から気になっていた。それが要であった三沢の死去でどうなるかが注目であった。
それが、無派閥の誰からも嫌われてないという感じの田上の社長就任。まさにあきらかに、中立、おかざりで痛みわけて人事だ。しかしそれでも百田が「小橋が社長じゃなきゃ」と去ったということは、仲田も相談役に退いたとはいえ、丸藤の副社長就任は背広組の勝利になるのかもしれない。わからんけど、百田自体はともかく力道山の息子としてタニマチ筋はあるだろうし分裂の危機はあるだろう。元々馬場夫人元子嫌いでまとまっていた団体ではあるので、歴史は繰り返すかもしれん
小橋が社長じゃなきゃてのを真に受ければ「(今の小橋の病状を抜きにして)一番がんばっているレスラーが社長」という考え方が根強くあるということだ。
私は、プロレスファンとして珍しい背広組の側に立つ人間だ。それは、私は内閣プロレスの中で背広組だからだ。レスラー・ファンの中には「受身を取れない人間のいうことをレスラーはきかない」というもがある。
もちろん、試合をするなら受身が出来なくては話にならない。しかし、プロレス団体の仕事には、試合をしなくても試合を面白くするためのそれまでの経緯を考えたり物語として成立させる仕事や、営業やスタッフ面の仕事がいっぱいある。すべてはお客様が満足するための興行をするため、レスラーは各専門部署の人間の指示には従うべきものだと考える(もちろん、100%従えという意味ではなく、レスラー側の意見も加味し、話し合っていいものを作る必要はある)。試合だけならレスラーで出来るが、試合を興行にするには専門スタッフの力が不可欠である。演技だけなら役者で出来るが、演技を芝居にするにはスタッフが必要だし、芝居を興行にするにはさらにもっと多くのスタッフが必要なのと同じだ。
なので、レスラーが社長でなくてはならないというのはナンセンスで、実質的なトップは経営センス、興行プロデュースセンスがある人間が勤めるべきだと思う(武藤のように、試合もプロデュースも天才な稀有な存在ならいいけどね)。野球だってサッカーだって、選手が社長をかねたりはしない。
が、ファンも選手社長をのぞむとなるとこれがややこしいのだな。内閣の話になるとスケールが小さくなるが、内閣ですら背広組(つまり私)と選手組は考え方の違いがある。私は受身は取れないし、試合についての知識がない(言い訳させてもらうと、ある意味で試合作りメンバーを信頼しているからこそである。彼らに任せれば安心して良い試合を作ってくれるから、自分は試合の勉強をする時間があったら違うことをしたいからだ、なんで最初の第4次では試合作りに関わって勉強してたけど、2回目からはやめた)。しかし、興行プロデュース面、営業面では負ける気はしない。少なくとも、試合の知識はないが、プロレスのスキャンダラス面の知識、試合以外のスキットを強化し興行にする面では負けない自信はある。なので、「体が弱くて試合が出来ん」という点でなめられちゃ腹が立つ。そして、なにより大事なのは私に「営業できないくせに、誰がおもろい脚本書いてるんだ」て思ってる面が0ではないということだ
となると、背広組がトップでいる内閣プロレスは、世のプロレス団体以上にバランスが悪い。私が=仲田龍、ちっくが選手側のエース=小橋、と考えれば試合面・興行知識面でも理解がありカリスマのあるシモンさん=三沢としてシモンさんトップのが良さそうだしね。まあ、組織によって理想のトップてのは変わるものだから、一概にどうとはいえないが。私もねえ、好きでトップなわけではないし(紫の同期に演劇続けそうな男子がいれば、私はそいつを傀儡にして副代表になって好き勝手したと思う、私にとって理想のトップはカリスマでも頼りになる敏腕でもない、自分の意向を通せる傀儡だ)。
で、今度のプロレス公演は、選手組がしたい試合を作りそれを肉付けして興行するというやり方でやるので、違った魅力が出来ると思う。私も、興行のための試合から、出来物の試合を興行にするという作業をしてみたかったので、やりがいがある。それを成し遂げられれば、内閣プロレスも一皮向けると思う。
何度もいうが、彼らが作る試合に関してはなんら心配はしていない。それをいかにうさんくさい、「プロレス」というものにするかが腕の見せ所だ。楽しみだ
芝居の方はというと、あんなひどいタイトルだけでおわかりでしょうよ。おもしろいよ。特に天皇コントは最高だ。おい、高間のビラが予想以上に評判よくてちとあせっとる。
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