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2010/10/05(火)
10月4日は魔女狩り記念日
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10月4日、この国は中世に戻った。
私は検察を信用しないが、それでも捜査のプロだ。捜査のプロが有罪には出来ないと判断した小沢を、素人が疑わしいだけで起訴した。理論的な判断ではない、情緒に流れて、起訴を行った。魔女狩りと一緒。確かに、あの説明で納得出来ないかと言われれば、私も納得いかない。しかし、そもそも小沢に説明責任などない。勝手に疑いをかけられて、弁明する必要等ないのだ。国民感覚がそれを許さないというなら、その国民感覚は中世だ。中世の人間に民主主義など勿体ない。
長い間かけ、人類が手にした法治主義というのは、誰かの主観ではなく、あらかじめ決めておいたルールに基づかなければ、人の自由は制限しないという大前提だ。ルールというのは、人を縛るためのものではない。それさえ守れば、あとは自由にして良いという基準をはっきりさせるためのものだ。マナーなどといって、曖昧な基準で許すか許さないかなどを決めては、なにをどこまでやっていいかわからない。そんな事態を防ぐためにルールを作っているのだ。だから、何日か前に書いたブーイングをする奴は球場に行くななんて言う奴は、そんなもん書くならブーイングの定義を明確化し、それに違反したら再入場禁止にするルールを作るべきなのだ(現にサッカーには人種差別につながる野次の禁止規定がある)。ファンに自主規制を求めるなんざお門違いなのだ。
私が表現規制にここまで反対するのも、曖昧だからというのはでかい。セックス表現禁止なら禁止で(表現の自由という面ではよくないが)まだいいのだ。セックスさえかかなきゃいんだから、挿入してないていいはればいいのだ。でも「性的にみだらな表現」なんて曖昧だから危険だといってるのだ。
しかし、この日、愚かな検察審査会の11人中8人は、明確なルールではなく自分の主観で判断した。小沢が葬られるか否かはたいした問題ではない、今後その判断をした8人を含め、すべての国民が明確なルールではなく魔女狩りの危険にあることを是としてしまった。ブログ、ツイッターをみても、私のまわりの頭が良い人はみな憂いているが、馬鹿は危機感を感じていない。愚かなり。とりあえず、いっそもやもやシグレーであるより、小沢は長生きして白黒つけた方がやりやすいだろうが(それまで寿命が持つかは微妙だが)、小沢はいいんだよ、私や私の大事な人が魔女狩りに会わないか、それは本当に怖い。
でも、菅や仙谷はきっちり除名した方がいいよ。愚民が相手なんだから。
関係ないけど、落合が人気がないのは、彼が理論はだからだろう。例の全員登録抹消も、メリットもあまりないが、デメリット0ゆえ勝つための最善手段だし。だから、愚民が多い世の中では理解されんのだろうね、
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