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2010/12/13(月) のるて東京終了
 笑の内閣東京公演は無事終了しました。心配された動員も、多彩なゲストがいらした2日目で盛り返し、213名を記録しました。初の東京で200を超えた、同郷の士がいっぱいいる北海道以上に入ったというのは誇っていいと思います。

 が、満足な動員ではないです。プロレスで200なら大満足でしたでしょうが、正直この問題があれば300は入れれる可能性はあったと思ってます。中野ZEROのイベントの時に委託して売ってればよかったなと思うし、「オタクは、自分の趣味以外にお金を使うのは渋いが認めたものにはガンガンお金を使うし、カンパ制にした方が儲かったかも」てアドバイスもいただいた。

 しかし、最大の原因は「条例可決が濃厚で、忙しくて来てる場合ではなかった」というのはでかい。みんな、最後の抵抗のために陳情書を書いたりで忙しかったともいえる。ジャーナリストや学者の方々も、13日に都庁へ傍聴に言った際は、この問題を扱って大活躍している昼間たかしさんや永山薫さんとも名刺交換が出来まして、のるての存在を知っていただいてたのは嬉しかったし、本当に正念場じゃなければ来ていただけたんじゃないかなとおもうとおしい。

 都議さんなんかも10月にお会いした西沢さん、田中さん、浅野さん、13日に傍聴に言った際お話しした栗下さん(同い年!かたや都議でかたやフリーターか)、そして規制反対派の一番手松下玲子さんからは「見にいけなくてすいません」メールもいただいたし、議会がなくて暇な時期なら来てくれただろうなというと惜しい。無所属の福士敬子氏も「どうしても本人は行けない」からと、秘書さんが来てくれたし。特に今賛成派に寝返ったとたたかれてる浅野さんは、10月にのるてを見せてればみすみす寝返られなかった自信はあるぜ。

 てことで、直前に行くというのはある意味どうだったのかはわからない。もっと前にやっていた方が、条例を止められる可能性を高く出来たかもしれない。動員をのばしたいなら可決して少し落ち着いてからのがよかったかもしれない。しかし、この採決される直前の週末。ここで我々が東京にいたというのはすごい意義はあったんじゃないかなと思う。

 のるてを作らずに、のるてを再演せずにこの日を迎えていた時の無力感、脱力感、後悔は、もっと動員をよびたかったという悔しさの非ではなかったと思う。役に立ったかどうかはわからん、演劇なんかつくってるよりわしも陳情書を書きまくってた方がよかったかもしれん。が、自分にとって一番の表現物である演劇という方法で、土日東京で戦ったということは今後の創作人生において誇りを持てる事だ。そして13日実際に都議会に傍聴に行って、可決される瞬間を見たというのもでかかった。泣きそうになりながら、自分の意志を殺し党の方針に従い起立した松下さんを見て、わしも「この悔しさは忘れない。これを胸に創作を続けたい」と思った。

 と、いうことで初の東京進出は本当に意義があった。まずは出会い。山本夜羽音さんや、天城れのさんといった、5月の段階で「非実在青少年読本」に寄稿している遠い存在だった方々とも交流がもてた。この問題に関心が深い方々とも飲み会が出来た。自費で別バージョンのビラを作ってくれた神奈江さんには感謝しても仕切れない。ダイナミックプロ(永井豪氏のプロダクション)の方とかも来てくれたし、演劇関係者は残念ながら少なかったけど、私も知ってる劇団の人とかも来てくれたし、嬉しかったのが「見学に行ったけど使用しなかった劇場」の方がいっぱい来てくれた事だ。上演拒否事件で劇場不信になっていた私だが「劇団を、演劇を愛してる劇場はいっぱいある」と思い直せた。特に王子小劇場の玉山さんは、深夜に打ち上げにかけつけてくれたし。もちろん使用したKASSAIさんには、本当にお世話になって、まだ出来たての劇場で「関西の若手を呼びたい」と言ってくれたのは本当に嬉しい。

 なにより、ゲストの方々は、藤本由香里さんの話をいっぱい聞けたのは本当に嬉しかったし、規制派の森田氏と話せたのはでかかった。正直「子供を守りたい」「表現の自由は尊重」「本当に、出版の自由は保証し、慎重に慎重に区分陳列をするだけ」という主張は9割方私と重なる(ようは最後に、森田氏は判断する人の善意に期待する性善説なのだな。私は「絶対に恣意的判断は起こる」という性悪説かの違い)ことがわかったというだけでもよかった。激論口喧嘩でなく、紳士的な会話が出来て良かった。

 そして吉田康一郎都議、まさかの現職都議会議員が出演。過去にも鈴木市議がディベートに出演したことがある笑の内閣だが、役者として議員が出るのは当然はじめて。3分くらいの出演とはいえ、台詞も言ってきっちり笑いもとって、MVP賞でも票を集めたのだからすごい。同い年といっても通用するくらいの若い見た目とはいえ、16年上の43歳の人と「友情」に近い感覚を持てたというのは嬉しい。打ち上げで積極的にうちのメンバーと話してみなだいぶためになったと思う。この条例阻止でも本当に頑張ってお疲れだったろうにありがたいありがたい。

 受付手伝ってくれた劇団粋雅堂メンバーのみなさんとは、やはり場所は違っても同じ演劇人、楽しく話せた。同じく受付してくれた、大学の同期千本は、相変わらずの同志。そんな千本が楽しそうに、最近合流したメンバーと話してるのはうれしい。フィギアをつくってくれた元バイト先の同僚KAMAKIRIは、すばらしフィギアをつくってくれ、うちあげでも久々にゆっくり話せた。一番は東京ペンギンの裕本君と出会えた事かな。彼は絶対にのびる。作品見た事ないのにこんなこというのもあれだが、「あ、こいつの作品絶対面白い」と思わせる作家だ。みたいなー、ペンギン。

 てことで、たくさんの人に恵まれた公演でした。まだまだ書きたい事はいっぱいあるが、今日はここまで。


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