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2010/03/19(金) 内閣は無視出来る存在
 私に気を使ってかもしれないが、見る限りで役者、スタッフののみんながおおむね満足してくれているということは、主宰者として喜ばしいことではあるが、私はもう敗北感でいっぱいだ。いや、別に作品がではないですよ。私は本番直前まで書けなくて納得いかない出来になった第3次の「教頭」以後の作品で失敗したと思ったことなどない。

 で、私は拝金主義者だから、結局いくら作品の出来が良くても、いや出来が良いからこそ動員がここ数回横ばいになっているのは敗北感でいっぱいだ。芝居をやっていく上での目標て、自分らがやりたい芝居を見に来ていただく」という状況から「お客さんが求めている芝居が=自分たちのやりたいことで、それをしてやってる」て状態にすることなんですな。食えていくまでいかなくても需要がないことをするのは寂しい、人間だもの人から必要とされたいですわ。

 で、笑の内閣は「身内が義理で行く劇団」「面白いから、予定あけば行く劇団」なのですね。「面白くないからもう行かない」でないだけ十分は評価なのですが、私はわがままなんでそれじゃ満足しないのですよ。身内や一般ファンからは「面白いから公演日程が発表されるやいなや、冠婚葬祭でもない限り予定をあけて絶対に見に行く劇団」じゃないと気が済まないのよ。

 それに加えて、評論家やマスコミ演劇界の先輩の方々からは「演劇界の上にたつ者として無視出来ない存在、見に行かなければモグリである」という危機感をもつ劇団であり、下の学生劇団とかの子らからは「勉強のため、京都演劇界にいるなら、一度は見に行かないと芝居の話しが出来ない劇団」でなければ気が済まないのよ。まあ、学生劇団の意識の低さに関しては苦言を呈すけど。私が大学入った頃は、少なくとも「衛星」「ニット」「ショウダウン」「MONO」「ヨーロッパ企画」「トリコ•A」「飛び道具」「正直者の会」「ベトナム」「柳川」「ユリイカ」「ワンパ」あたりを見てからじゃないと恥ずかしくてまともに芝居の話し出来ないて雰囲気だったし。それが今の若い子は全然見に行きよらん。上記の劇団を見に行ってないどころか、名前全部言えるかも怪しい。芝居を見ずして芝居をやろうなんざ恥を知れ。金がないだと、チケット代も払えない奴が芝居すんな。貧乏は美徳ではない。その点で、全然知り合いじゃないのに、来てくれたACTの子は偉い。一人で見に来た上、面白かったと今回は団員を誘ってくれた。偉い。

 でも、内閣はそうなってない。私の身内は芝居をやめて京都から去って行く人が年々増えていくからそれじゃ動員は減る一方だ。必死に知り合いを増やし、マスコミは着々とおさえているからご新規は増えているけど、それじゃ横ばいが精一杯。むしろ、それが出来たの第6次、2回目のプロレス芝居だ。あの時の前回比1•5倍増てのは後にも先にもあそこしかない、今思えばあの時「知り合いという知り合いがほとんど来た」まだ、評論家とかは来てない時代だったけど、同世代の知る限りの演劇人はほとんど来た。今思えば、あれは1回目のプロレス芝居の「芝居としてはクソだがプロレスという無茶苦茶なことをしてる、1回見ないといけない」という無視出来ない存在になっていたんだろう。

 そして、それが札幌では出来ていたんだな。札幌で予想以上の動員が出来た一因として、予約表を見てわかったのが、「札幌のおもだった劇団のほとんどが、T人以上内閣に人を送り込んでいる」ということだ。今回は失礼承知で札幌の劇団でアドレスがわかるところ全部に、メールを送った、そのかなりの数が、全員とは言わないが1人は見に来てくれた。若林が頑張って挟み込みしてくれた、ハムプロの人もまわりにいっぱい宣伝してくれたこともあり、札幌演劇界ではほぼ情報は広まった。その中でちゃんと「京都からプロレスやってる怪しい劇団が来る、誰か一人は偵察に送り込まねば」という無視出来ない雰囲気が出来ていたというのは大きな成果だ。そして、初日みに来た方の薦めて後半動員が伸びたこと。楽日にきたアンケートに「最初にくれば良かった。劇団員も連れてくれば良かった」と書いていただけたことなどをみれば、結果はだした。次ぎ行く時には「無視出来ない存在」になってることだろう。

 が、京都では、無視できるのだろう。第6次以後、知り合いという知り合いがほとんど来たなんて公演はない。それは、第6次の出来が、次回以降も無視出来ないて出来じゃなかったてこともあるし、それを再度無視出来ない存在にするほどのムーブメントをおこせる宣伝や評判をおこせていないことがあるだろう。

 今回は「プロレス芝居」というものは、遠征先でこそムーブメントをおこせるツールである(そりゃどこにもないだろうし)という自信は持てた。あとは、地元京都でさらにもう1段階なにを起こせるかだ。今の動員でプロレス芝居の存続はできないから

 となると、作品の質には自信を持っているだけに難しい。日本の演劇は作品の出来よりスターシステムでもってる感が強いから(実際、私があまりのつまらなさに怒って途中で帰った劇団が関西にはあるが、役者のファンという形で動員をのばしてるんだよな、あれで泣く奴はろくに本も読んだことないのか、人類の歴史を彩った文人に謝れと言いたいが、そんな文盲でも感性豊な人間でも一人は一人、人権を持っているのはかわりない)、スターを育てれば良いのだが、それじゃ作家としてはあまりに悲しい。そして、内閣の役者は、スターとはちょっと違うんだよな。まのもひろふみもちっくもスターちゃスターなのだが、ファンがどうこうではないし(しいていうならシモンさんなのだが、リッキー=シモンもちょっと違う)。一番の身内じゃなくても客を呼べるという点では向坂の解説なのだが、よその座長だしね。


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