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2010/03/20(土) 新作至上主義に喝 
私が売れる脚本家になるのが難しい致命的な点は、遅筆であるということだ。ほんまに量産出来ない。一部では、私は本が早い方だと言われているようだが、そりゃ稽古開始直後に第1稿が出来上がってるからだが、それとてそれまでに十分苦しんでいるのだ。私が芝居を始めたきっかけである三谷氏に弓引く発言であるが。稽古開始時に本が出来てないなんざ、設計図なしで家を建てるようなもんなのだから、ありえないのだ。そもそも、途中まで書けたが、ラストが決まらんてのは信じられん。私はケツ決めで、さかのぼってかかないとうまくいかないのだけど。

 と、いうことで仕事が来ても量産出来ないのはマイナスなのだが、いうてしまうとそんなに書きたいこともない。短編のアイディアはいくらでもでるが、長編でまで書きたいことはめっきり減った。高校時代は山ほどあったのにな、あの頃は書きたくても自由に上演出来なかったのと、未成年だから行動の自由自体が今みたいになかったので鬱積が多くて書きたいことが山ほどあったんだろうな。あと童貞だったし。セックスしたいのに出来ないほど辛いことはないからその怒りが劇作に向けていた。だから合田はいつまでも童貞でいてほしい。やったら才能枯れるよ

 だからって、書けるまでまってたら劇団運営もクソもない。一本書けて、さあ仲間集めてなんて悠長にしてたらどんどん忘れられる。なにより、私は自分の作品を発表したいがための手段としての劇団運営というより、高間作品、笑の内閣という商品をどう売っていくかという運営自体が楽しいのもある(てか、半年に一回くらい公演してないと人生つまらなすぎる)ので、それに劇作が追いつかなら別な手段を考えなくてはならない

 既成脚本やってしまうてのもひとつの手ではあるが、私は自分の脚本はこの世で一番優れていると思うので、わざわざ落ちる他人の作品をしても仕方ないので、書けないなら再演するしかない。

 そう書くと、なげやりみたいだが、再演というのがマイナスイメージなのが残念だ。今回、スクールオブザリングを再演したのは決して手抜きではない。まず、実際はほとんど新作といっていいほど、書き直している。どす恋や肥後橋という名キャラがいなくなったことによる削除(彼らの個性を考えたら別なキャストを当てはめるという選択肢はなかった)はあるが、大下慎次、上蔀優樹、ドッペル慈恵士、そして五藤七瑛というくせ者にぴったりな役をつくったこと(ちっく、まのも前回より彼らの特性を生かした役に書き換えたし)もあり、本としての完成度は増した。そして、劇中劇はほぼ新作だしプロレスの質もあがった。


 私は芝居は、本当は1回上演して、お客さんの目に触れて精査して完成だと思う。前回のが不完全だったとはいわないが、じゃあどっちが面白いかつったら確実に今回だ。生ゴヅラの再演は、単純に前回出来なかった悔いを晴らすためだったが、今回は、札幌に持っていくなら、新作はリスキーと思って持っていったのはある。高校演劇の話をもってきたかったてのはあるが、一度やって確実保証されたもんを持っていきたかったのだ。

 しかしまあ、「再演だから別に良いや」て反応が多かったこと。なんで結果しってる話しならいかなくていいことになるのか。本物の内閣の内閣官房参与が「日本ほど新作至上主義な国はない」と苦言を呈していたようにだ。たしかに外国は再演ばっかりやってる。ねずみとりなんて何回してんのかしら

 よくお客さんの日記でネタバレするから書けないて記述があるけど、結果が分かっていてつまらないてのは推理小説とスポーツにはあてはまるが、芸術においてはそこまで恐怖することなのだろうか。吉本なんか、先の先までなにを言うかわかってるが、いやわかってるからこそ面白いぞ。まあ、プロレスをあらかじめ勝敗が決まってるから面白くないて、真剣勝負のが良いっていっちゃう国民性じゃ無理もないかもしれんが、うちはけっして予め脚本を全部読んで来られたって面白いと思うもんつくってる自信はあるよ。それこそ世界で唯一、大会前からどっちが勝つかパンフに書いても良い、それでも面白いプロレス団体だと思うし。

 が、小劇場界じゃなければ、日本だってそこまで新作至上ではないはずだ。放浪記だって屋根の上のバイオリン弾きだって、四季なんてどれだけやってんだってはなしだが、ちゃんと客が入ってる。古典落語が繰り返されてる国じゃないか。なぜ、小劇場なんて、それこそ、頭脳が基本1人しかないない量産が難しい世界が、かえって一番量産しないとならん体勢になっているのか。頭脳がいっぱいある映画ですら、シリーズものでもせいぜい1年に一回。それが、小劇場では1年に2、3回も新作を求められる。勘弁してくれ。


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