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2010/04/22(木) めんどくさいからしてない行動を他人がすると非難する不思議
 松屋のバイトが労組を結成したというニュースがあったが、まあ見事に「バイトのくせに」「嫌ならやめろ」と書いた日記が多いこと

 書いた人がみな経営者側の人間ならばわかる。しかし、世の中のほとんどの人は経営者ではなく労働者である。なぜ、同じ労働者がやることの足を引っ張ろうとするのか。

 確かに、この労組の要求の「賄いを無料にしてくれ」という要求はしょうもない。しょうもないが、しょうもないからこそ大多数の人にとってそんな要求が通ろうが通らまいが人生に何の影響もない。

 影響もないのなら、わざわざ経営者の立場に立って批判するより、自分と同じ労働者の応援をするのが筋てえもんだろう。

 労組を結成し活動をする自由はどんな労働者にもある。もちろん、結成せず運動をしない自由もある。しかし、自分が、不満がないとか、上が怖いとか、めんどくさいとかどんな理由でも運動しないからといって、航空会社や鉄道のストで乗れんとかいうような自分に影響をもたらす運動(まあこれもストする方ばかりに文句を言う馬鹿もいるのは問題だが、起こす側も起こされる側にも問題があるからストになるわけで、99%無理矢理11球団にしようとする球団首脳に問題があったプロ野球のストですら批判した人はいたしねえ)ならともかく、自分に全く影響がない運動にまで文句を言うとは、どこまで奴隷根性が座っているのか

 わかる、経営者側の人間が文句を言うのはわかる。しかし、労働者のくせに、経営者の身になって考える必要が有るのか?経営は経営者になる才能がある人間にしてもらって、ガツガツ要求したら良いじゃない、要求しすぎて会社の経営じたいがやばくなっては本末転倒なんて、そんなものなんで下にいる身で心配してやらなきゃいけないの。それこそ奴隷だよ奴隷

 「他人の身になって考える」ことは良いことではある。だから「自分より下の立場のみになって考える」というのはとても大切なことだ。しかし、「自分より上野立場の人間の身になって考える」というのは過度にする必要はない。そんなことすれば、上の人間につけこまれるだけだ。

 私は劇団では上の立場だが、はっきりいって「毎回最終的に20万以上の赤字をだれが一人で補填しているのか?私の立場になって考えて、一人1万円くらい追加で払いましょうよて言う人が一人もいないのか」と思うことは思うが、そんなこと思わなくていいとも思ってる。みんなにはそんなことを考えなくて良いかわりに、私のようなダメ人間の命令に従ってもらってるんだから。

 他人の行動を、同じ階層の人間が引きづりおろそうとするのだから、この国は支配層にとって誠に楽な国だ。支配層にこそ「下の身になって考える」モラルが求められるのに、あいにく成り上がろうなんて奴は他人の身になって考えられる人の方が少ない(だからこそ成功出来るわけだが)。支配層の蓄財をせめず、生活保護はずるいだなんだって、徳川幕府のエタ非人政策がまだ生きている。誰ぞの歌にあった「弱い者がさらに弱い者をたたく」という悲しさよ。それなら、自分が一生負け組だと認めて生活保護費を汚くせしめてやろうって根性のがかっこいい。それを批判するのは正義じゃない、ただ自分がそれをする勇気がないからうらやましがってるだけだ。私はこの前彼女に「子供が出来たら結婚する?」て聞かれて「一緒には暮らすけど、書類上は結婚しないで母子家庭加算もらった方が得だよ」て言ったら怒られたけど、それが正解じゃないかね。

 なにが言いたいのかというと、私が青少年活動センター有料化問題や児童ポルノ規制に反対していることについて、それらに明確に私と反対意見の人がなんか言うのはわかるが、別にどっちでもいいとか、むしろ有料にされたくないとか思ってる人にまで「そんなことしてるなら、もっと別なことしたら」て言われなければならんのだということだ。どっちでもいいなら暖かく見守ってくれよと。心配されなくても、どっちの問題も、自分が出来る範囲でやっていて、睡眠も食事もセックスも仕事も演劇も趣味も将来のために必要な勉強も自分が一番これがベストだてバランスでやっているのだし。

 ようはてめえが必要ではないとか、行動は起こしたいけどめんどくさいからやってなくて、かつ法律に違反していない行動、つまり他人に迷惑をかけていない自由を明確に反対でもなく単にちょっと自分に理解出来ないてだけで非難するってのはなんと不寛容な方々であろうと思うわけです。はっきりいってお節介なわけですよ。

 それこそ、私が2月に指摘した国母服装問題ですよ。もう一度言う、普段スノーボードなんかどうでもいい、愛国心もそこまであるわけでもない、つまり国母に迷惑をかけられてない人間があれほど怒るこの国は本当に寛容さが足りない。他人にどうこういう前に、自分にちょっとでも不利益が有れば暴れだすフランス人がうらやましい。


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