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2010/05/18(火)
非実在少女
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表現規制の問題もじょじょに周知されて来ているようで、演劇人相手ならほとんど通用するようになって来た。とはいえ、一般人にはまだまだと思われる、今月末に、非実在青少年読本という本が発売されるようなので、どんどん読むべし。
にしても非実在青少年というぬ単語は本当に間抜けだ。なかなかない面白い単語だと思う。芝居のタイトルでつけたいもん、非実在青少年て。
と、いうことで実際に芝居を書くことにしました。私は、基本的には自己満足、自己肯定、自己保身、自分に都合の良い世の中を作るために芝居を書くのですが、しかし人より優れた面白い脚本を書くことが出来る才能を持って生まれた者としての義務として、世のため人のために脚本を書く必要も有るのではないかと思います。表現規制に反対する芝居を書くことは、自分のためでもあるし、世のため人のためであります。まさに義憤です。
問題はどのような形で書くかですが
去年のコント集のように「表現の自由を守る」といって、危険ネタコントオムニバスをする方式。これだと、去年好評だった田母神ネタや皇室ネタなども出来るし、ダイレクトに規制派を批判出来るネタ(ひなげしの花で入場してくるとか、ちんこそっくりのバイブで障子を突き破って「これでも小説なら許されるのか」ていうとか)もやって、笑いだけならこっちもとれます。ただリスクとしては、アナーキーすぐて規制反対派は偏ってるとか思われるかもね。いや、実際私は偏ってるけどそう思われるのはまずい。
一方では、きっちりとした長編を書くという手もあります。私も久しく、プロレスなしの長編を書いてないけれども、けっして筆力が落ちたとは思ってません。ストーリーとしては、華氏451のような焚書が現実になった世界とかでも書けますし、得意の行政ネタで条例制定に関わる主人公が調べて行くうちに矛盾に気づくなんてのもいい。ぜひ、非実在少女はだしたいね。アナーキーすぎないぶん、社会的には受け入れられやすいでしょう。うまくいけば、反対集会とかに上演してと呼ばれたりしたら良いな。しかし、内閣ぽくはない。私は危険すぎるからこそ価値があるだろうし。ダイレクト批判も出来ない分笑いの寮は減るだろう。
どっちがやりたいねんというと、どっちかというと、作家としてはコントがのが表現したいことだし、制作としてというか条例を阻止したいてうえでは長編だし。いや、もとはここ半年くらい忙しく物理的に夏は週3以上練習できないからコントで行くつもりだったんだが、急に長編のがて思って来た。練習日程、参加費が増えないとはいえコントやるっていって誘ってんだから信義違反なのだけど。
社会に訴えかけること、売れること、条例を阻止すること、笑いを取ることどれもおろそかには出来ないことですし、どうしたらいいかねえ。
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