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2010/09/01(水)
クーラーがない
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今年の北海道は暑い。うちの実家はクーラーどころか扇風機も無い。早くクーラーがある京都に帰りたい・・・
と、いうことで、朝一の飛行機で帰り出棺に間に合いました。冷静に考えると、昨日の晩のうちに深夜バスで東京まで行き、羽田からスカイマークで帰った方がだいぶ安かった。バスのがゆっくり寝れたし大失敗である。空港からは沖田に送ってもらい、馬鹿話もできたし、親戚にあって札幌公演を見に来てくれたお礼と、次回の札幌遠征もよろしくという営業もできた。あれだな、おやじの葬式は息子ということで楽させてもらったが、色々やることもあるし、お焼香や骨拾いなど色んことを最初にやってもいいので思考せずに楽だったっが、今回は喪主である叔父夫婦より後にせにゃならんという面で頭を使うのが疲れた(ぼーっとしてると、つい最初にやってしまう)
悲しくないのかと言われると、悲しくは無い。まず、すでにおやじが死んでる以上、親より祖母が悲しいわけは無い。そして、祖母はすでに何年も前から認知症で意思の疎通ができなかった。それまでは一人暮らしをしていたが、ボケが進んで6年前からグループホームに入って、さらに去年からは入院して実質延命治療だった。父方の祖父母の方が好きというわけではけっしてないが、今死なれたら絶対父が他の祖父母のがショックだ。それは祖父母は、まだ元気で普通に喋れるし、前あった時がこれで最後だとは思ってないからだ。しかし、祖母は上記のように、もう何年も喋れなかったし、帰省して会うたびにもう何十回も最後だと思っていた。なにより、ボケが進んでどうも自分に響という孫がいるということも理解できていなかったと思う。実質6年かけてお別れをしていたのだから、もう充分だったし、この先治る見込みがあったわけではないし、なにより私の努力で回避できたことではない。しょうみ「失恋した」とか「志望大学に落ちた」とか「のるての予約が全然採算ラインにいかない」という方が、努力で回避できる分よほど悲しい。 とはいえ、祖母にとっては私は唯一の孫ということでずいぶんと可愛がってもらったのだ。地理的に父方の祖父母より回数あっていることもあり、祖母と遊ぶのは楽しかった。特に、色んなお話の創作を一緒にしてくれたのは天才劇作家の成長過程において重要な役割を果たしていただいたと思う。
あと、火葬場の人、父の時と一緒だったのだが、「これにて最後のお別れです」という言い方が泣かせる気なのか作りすぎだと思った。
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