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2011/04/13(水)
石原とヒトラーになる器
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で、石原である。私は石原慎太郎に投票する人が理解出来ない。私は同じようなタイプの小泉や橋下も大嫌いだが、まだ小泉や橋下に投票する奴がいるのは理解出来る。なぜなら、彼らは頭がいいからだ。目的のためにわざとエキセントリックなことをしているのがわかる。しかし、石原はどうみたって違うだろう。彼の数々の暴言をみて、とても頭がいい人間のいうことではない。
そして、私の身の回りの人間だって、小泉好き、橋下好きはいるが、石原が好きな奴なんて見たことが無い。そういう人とつきあってないから、そういうコミュニティに生きているからだからなのだが、なおさら不思議なのだ。合田も野口も末山も心底不思議がっている。
が、現実に石原は当選してるわけでそれがなぜかわからなければ、マイノリティのままで、いわば売れない演劇人のままなわけではないか、石原にいれるやつをアホだと思う。しかしアホをアホと馬鹿にしてるだけでは、勝てないし売れない。だから真剣に考えてみたのだ。
で、昨日の「国民の映画」の話しに行くと、ドイツ軍の軍服をきて高間総統とかいってるだけあって、私はナチスに魅力を感じている。なんて書くと危ないが、金親子やスターリンにはない魅力がある。ムバラクにはないが、カダフィにはある魅力。デスラーや高田総統の魅力とも近いか。そして幹部たちもキャラがたってるしね。当人たちがとても楽しそうってのもある。
ただ、そこのヒトラーのナチスの魅力ってのは、キチガイの魅力である。本気でナチスの思想を魅力なわけがない。狂った理想でも突っ走って、ある程度成功してしまっている事に、魅力を感じるのだ。
石原もまた、狂った理想に自信満々である。画家になれなかったヒトラーと、小説家として文壇には無視された石原はともにコンプレックスをとりつくろうために、政治の世界に行ってしまって、同性愛嫌い(石原の場合は三島を美輪明宏に取られた逆恨みだろうが)とかをどんどん肥大させて、自分が一番正しい
私は基本、理論的に説明されないと納得しないので、無茶苦茶なことを強引に言われてもアホかと思うが、こんだけ夢だのなんだのが通用するてのはわからんではない。女を口説くときなんか、理論でせめないものね。理論的にいけば私とつきあってもしゃあないもん、わしは天才だっていった方が確率高い。 そして、第1時世界大戦後のドイツも、今の日本もへこんでいる。となると、こういう強引なのがうけてしまうのだろう。
演劇人が石原に騙されないのは、もちろん創作者の敵であるのはもちろんだが、創作者てのは基本自分が一番偉いと思ってるから、その手のリーダーを必要としない(演劇人に取って理想のリーダーは、無能でも自分の言う事を聞くリーダーである)身近にキチガイが多いから、キチガイ慣れしてて、キチガイの魅力も危険性もわかってるから、わざわざ政治家にまでキチガイを求めなくてもいいからともいえる。しかし、多くの人の周りにはキチガイなんかそうそういないから、石原を見てもキチガイじゃなく英雄に見えてしまうのだろう。
そして、大衆がこの程度なら、利用しない手はない。私は正直、ヒトラーや石原が羨ましい。私だって、普通の人よりは自分勝手に生きてるし、偉そうだしで生きてるが、そのせいで人望はない。なのに、私以上にあれだけエゴの塊で、他人に気を使わず、好き勝手な言動ばかりしてる奴らが支持を得ているのはなにが違うんだ。芥川賞とったからか。むしろもっとわがままに生きた方がカリスマなのか
そこで、私の友人である京都ロマンポップの向坂達矢である。彼はヒトラーや石原になれる逸材だ。彼はヒトラーや石原より賢い人間だが、キチガイを演じられる。嫌な言い方すれば、彼は馬鹿にしている相手でもカリスマの役割を演じられる。私はある程度尊敬できる人とじゃないとつきあえないのでヒトラーにはなれんのだ。彼は理論派だが、理論より魂で話さないとならん場面では魂で話すから
私は数字が好きで、芝居の出来より動員の話とかどうしても理論で話してしまうので揺さぶらない。みなの士気を高めるには、そんな話してもしゃあないと頭ではわかってるんだが、どうしでも出来んのだ。実際に私の演劇企画力、行動力は参謀むきっていわれるし。ほんまにトップになりたいわけちゃうし。なので、野望を達成させるためには、あれだな。向坂がヒトラーで、わしがゲッペルスだ。これで演劇界を牛耳る。いや、政権を取る。なに書いてるかまたわからんくなった。
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