|
2011/06/29(水)
唐仁の乱 余波2
|
|
|
とはいえ、作品に関して言えばまだまだ言いたいことはある。
高田君の負の面、すなわち発達障害の負の面でいえば、他人の意見が聞けない事だ。もう、これは自分の恥じる事だが、私はやはり根本的に他人の話を聞かない。いや、自分では聞いてるつもりなんだけども、客観的に見たら聞いてないだろう。この世で一番正しいのは自分だと思ってるし、この世で一番優れているのは自分だと思ってるし、もう自分が好き過ぎて好き過ぎて仕方ない。自分がする事だったらどんなことでも許せる。
しかし、それを素直にやってしまったらもう人として終わりだろう。故にその自我を我慢し、いかに我欲を抑えるかを日々葛藤しているのだ。私が、ことさらに石原慎太郎を敵視するのは、私自身が石原慎太郎と同類の人間だからだ。石原こそ自分が一番正しく、自分が好きで仕方ない典型だから、彼を嫌い彼のようにはならないように行動しようと日々努力しないと、すぐに石原みたいになってしまうからだ。
高田君と話してて非常に危ういなと感じだのは、この作品が評価されない演劇界は間違ってるし、正さねばならないという思想が見て取られた事だ。これは非常に危険な考えだ。もう、昨年から表現規制問題に関わって、アグネスだのPTAだの警察だの、自分を正義と信じてる連中こそ厄介な奴は居ない。まさにナチズムへつながる思想である。
それをいっちゃあ、唐仁の言ってる事なんて要約すると「自分がつまらんと思ってる連中が幅を利かせてるのが気に食わねえ」という、もっと狭いというか独裁的な主張とも言えるが、奴はそれがただのワガママでしかないとわかったうえで、喧嘩をふっかけている(なにより、唐仁は立場がある人間ではないからこそ、喧嘩という形で正々堂々戦いに言っている。権力者の弾圧ではない)
で、もうこれをいうと、一周回ってあとは好みの問題になるわけで、もう小さい高間響がいうと、この作品は面白いと思えんし、税金使った劇場じゃないからいいけどさ、この芝居が今後の演劇界の発展に繋がるかは懐疑的だし。私は、実社会では社会主義的経済政策を望むくせに(働きたくないから)、こと演劇では資本主義至上主義なので、おおくの人が面白いという芝居が=価値があると思ってる。なんで、こんな多数の人がわからんて芝居をプッシュするにはわからん。わからん。
高田君の面白いって思った作品を紹介したい、問題意識を問いたいって気持ちはわかるぜ、が、なにも上演て形じゃなくてもよかったじゃないか。だって、結局芝居よりアロアロで話した方が実があったもの。私はライバルなんで他劇団だとは思ってない、それは音楽だったり、ダンスだったり、野球だったり、サッカーだったり他のエンターテインメントだ。私はこの世で一番面白い見世物は芝居だと思ってるが、残念ながら数だけなら面白い芝居より野球見て面白い、プロレスみて面白いとおもう回数のが多い(現に、金曜日はオルタナ観劇より野球中継を選んだ)
ただ、ここは唐仁には同調出来ないし、高田君には期待している事なのだが、劇場が貸し小屋じゃなく、創造していきたいという思いは結実してほしいなと思う。彼が、今回の件が内容が反社会的という恣意的判断でうちを上演拒否した劇場と、ある意味同じであると気づいて、それでも創造性を続けていく事には期待したい(今回で言えば、学生演劇祭最初から劇研賞を選ぶって言っとけばまだよかったかもね。アーコン賞をとったBKCだって、よく考えれば和田さんの恣意的判断だが、最初から和田さんが判断するって言ってんだから問題はない、ああ来年は内閣からも賞出したい、笑の国民栄誉賞がいいな。私汚い大人だから、AKB候補青田刈りする気まんまん)
でも、劇場が演劇作りの中心になるのは、それはそれで劇場法反対論者の懸念もあったりして、私は賛否どちらの意見も納得出来るもんで、浅田彰と田中康夫が劇場法反対でどっかの劇団コントやらねえかなって言ってたから、その2人くるならやろうかなって思ってたけど、アゴラに受かったしひっこめた。こんなこと書いておきながら、私は権力と寝る男だ!
|
|
|