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2011/07/27(水)
作品解説1 原子力少女ぷるとちゃん
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今日からコントの解説をしてきます。
思想というのは極論を言うと、格好良さ、モテるかどうかだ
私は、大学時代「なぜ60年代盛り上がった学生運動が、70年だ以降下火になったか」という課題のレポートで、「60年代は学生運動をしているのがかっこよかったが、ダサくなった。演劇とか音楽してる方がかっこよくなった」と書いたのだが、自分で言うのもなんだが本質だと思う。
私は愛国心愛国心言ってる連中なんで馬鹿としか思えないが、仲良く平和をというより、敵対国は殺せっていってる方がモテそうだというのはわからんではない。
私の場合は、モテるためのことを賢いかどうかに活路を求めたので、愛国心で勇ましくという方にはすすまず、左ぶった思想でモテよういう風にしている。なので、言動は左が多いが、かといって日教組の息子だけど非武装中立反戦平和護憲第一主義には組しない。いくらなんでも軍隊持たないじゃ賢く見えないしモテない。よって武装は必要。外交は、対話と圧力のバランス。経済は、やや大きな政府より。自由は絶対リバタリアン。表現規制だって、おぞましいロリコン漫画を撲滅してやれていうのと、自分でも見たくないおぞましいロリコン漫画でもそれが存在する自由は守るって方が賢そうだし、かっこいいし、モテそうだから、反対派に組しているのである。まあ、実際にそっちのがモテるのかはしらんけど、賢い、かっこいい、モテるというより美学に近い。
かっこいいというのはそれだけ重要だ。ある意味、お金よりも人を動かす行動基準になると思う。
その意味で原発というのは、今までも親原発、反原発といたが、大多数のどっちでもいい派も「電気なくなったら困るし」って方がかっこよく見えたのは確かだ。事故なんてそうとう低い確率だろうし、それを心配するより電力安定を進めた方がかっこよく見えた。それが、容認していただろう。
それが事故後はどうだろうか、あいかわらず過剰不安系のかっこ悪いものもあるが、どうみても賢い顔して「反対する奴は電気を使うな」ってのは馬鹿みたいでかっこ悪い。佐賀県庁に突撃している(実際はしてないけど)山本太郎の方がかっこいいだろう。 これは、原子力発電所の安全性というよりは、原子力政策推進のからくりがわかってきたところが大きい。実際に原子力のリスクが高いのか低いのか、これからも続けるのか、やめるのか、どちらが正しいか、最終的にはまだただしさ、未来という面では判断つかない。しかし、推進派が熱心に、工作しているのを見ると、それにのって推進違憲になるのはかっこ悪い。あれじゃ逆効果だ。よって、格好良さを求めて、縮原発、卒原発の方に傾いていると言える。
少なくとも推進派は私に、表現規制と一緒で「こいつらのやってること加工しないでそのままコントにして笑えるんじゃね」と気づかせてしまったのは負けだろう。ぷるとちゃんは、創作ギャグはほとんどなしで、一連の騒動をそのままコントにしてます。それで十分笑えるし。原発は実際はそこそこ安全であるが、さらに必要以上に安全いいまくったのがギャグだろう。安全じゃないものを必死に取り繕う、これは立派なコメディである。
まあ、時事ネタコントをやるなら、まさにトレンドだし、オープニングコントとして、考えるきっかけになってもらえばいい。基本、ほめ殺しスタイルのコントになるはず。
これから社会問題に魔法少女を出すってのは聖羅がいるかぎり鉄板になるはずだ
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