|
2011/08/11(木)
作品解説 健康帝国の野望
|
|
|
健康はとても大切な事である。いくらお金を持っていても、ある程度までしか健康になれない。数少ない金で買えないものである。
が、世の中不健康になることでも、価値の高いことはいっぱいある。飲酒、喫煙、コレステロールの高いものを食う。不健康になるリスクをおってでもそれを楽しみたいという人を止める権利はあるのか?というのは難しい問題である。
結論から言えば私は不健康に生きる権利はあると思っている。私は「人に迷惑をかけなければなにをしてもいいのか」という人はおかしいと思う。人に迷惑をかけなければなにをしても自由じゃない社会というのは可笑しい。その面で、自分が不健康に生き、不健康になる事は権利である。中には「不摂生に生きて不健康になり、医療費を増大させるなんて迷惑だ」という人も居るかもしれないが、そこまで言ってしまうというか、そこまで求めるなら、完全無税自己責任国家にするかしかない。そうなれば、私も含めほんの一部の資本家以外はまともに生きていけなくなるけどその覚悟がおありなら言っても良いと思う。私は一部の生活保護不正受給者がいるのを黙認してでも、再分配がある社会を望む。
私は煙草は吸わないし、嫌いだけど、喫煙者が煙草をすえないような社会は自由社会ではない。それを許せば、いずれ私が好きなお酒が禁止されたとき、反論する余地が無くなる。よって全面的に擁護する。分煙という、理想的な解決策があるにもかかわらず禁煙を強行するのは狂気の沙汰である。極端な話、医療費言うなら、長生きされる方が増大するんだし、喫煙者はどんどん煙草吸って税金余計に払って、早死にしてくれた方がいいとも言えるしね。
よく、「人に気遣いを持てば優しい社会になる」なんていうが、私から言わせれば「必要以上に人に興味があるから争いがおこるんじゃないか」と思うんだな。私が最近見て、腹が立ったのは、コンビニの深夜営業を辞めるべきだという意見の理由として「夜で歩かないから必要ない」という意見があったことだ。いやいや、あんたが夜で歩かないなら、廃止しようが存続しようがどっちでもいいじゃないか。なぜ、廃止すべきだというのだ。自分に必要ないけど、他人には必要かもって創造力も働かんのかと思ったんですな。まして、「夜型のライフスタイルが改善出来る」とか「治安が良くなる」てのはね、別に他人が夜型人間でもてめえに関係ないだろ、治安の良化てのは、夜中にコンビニ行くにも安心して出歩けるようになれば良かったねて話で、夜中に人が出歩かないから治安が良くなったって意味ないじゃないか?なら戒厳令がある国に住みたいんかって話でね。こんなもん他人に興味や、良い事をすすめようって気持ちがあるから起こるお節介、無用な対立だよ。わしなんか、自分が一番好きで他人に興味ないから、他人に余計なアドバイスもしないし、おかげで人生で嫌いな人なんか3人しかいない。平和なもんだ
ゆえに、私は健康を人に強制するものには憎む。表現規制賛成派と一緒、良い事をしていると思ってるからタチが悪い。しかし、そんな健康第一な政策をしていた国がかつてあったわけで。まあ、知ってる人は知ってると思うけど。そんな国の実録健康史である。みんな実在の人物を演じます。
|
|
|