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2012/10/09(火) 感動してる場合か
 金本の引退試合を家出ゆっくり観ようと思ったが地上波がなく、山科に中継している居酒屋もないため、わざわざ三条に出てスポーツバーに行ってみて来た。ここ3年の醜態で罵詈雑言浴びせまくった相手ではあるが、7年は本当にお世話になった選手である、感謝の方が2・333倍強い選手である。本番翌日だからと躊躇せず、チケット買って生で行けば良かった。生で観た遠山葛西伊藤敦規の試合でも感動したのである。金本だったら号泣だろう。

 で、スポーツしてる人てのはて羨ましいなと思った。ここまで引退セレモニーなんか出来る選手はほとんどいないが、「引退」「優勝」「目標値以上の勝利」「敗戦でもやり切った」など、感動を出来る要素がままあるのである。まだ、高校演劇はある意味「勝負事」であるから「勝った負けた」で感動出来る、今だって受賞とかはあるが、この歳になる受賞とかは参加メンバー全員そろった審査発表でとかいうのはあまりなく、電話連絡とかだからなかなか感動とはいかない。結局、演劇では直接感動に結びつく結果は出にくいのである(だから、学生演劇祭がある現役学生の子らには嫉妬する)

 まあ、それでもまだ恵まれた演劇人生で、高校の時の南空知地区合同公演、DOS(京都学生劇団合同公演)プロデュース公演、劇団紫の卒団公演など、「このメンバーでやれるのは最後」って公演では、かなりうるっときてた。内閣でも、最初2回のプロレス芝居はやたら感動していたのである。しかし、2007年の第6次以降はない。主宰者として劇団運営をしてるともう、感動とかしてる余裕はないのだ。千秋楽の本番前でも、劇場近場にいそうな人に当日券でも観に来てと宣伝し、本番の最中でも、未着のお客様に確認メールを送らなければならない。芝居が終われば、お客様に挨拶し後片付けもせにゃならん。感慨にふけてる暇なぞないのだ。
 
 であるけども、昨日の最後ののるては、4都市19ステ、初演からなら7回31ステ、私にとって、表現規制問題以上に寛容な社会への訴えも、憲法論も、教育論も思想の全てをこめた代表作とのお別れ。練習開始から4ヶ月。アゴラに内定を貰って1年4ヶ月、初演の練習開始からなら2年4ヶ月、一緒に闘い続けたメンバーとのお別れの場であった。

 感慨にふけないわけはないが、それでも泣きまではせんかった。お客様を泣かせるって意気込みで作った武田先生の渾身の教育論の台詞も、津川先生の生徒を守る渾身の台詞でもうるっとこなかった。だから、まあ上蔀が泣くのはいつものことだが、ちひろも号泣してて、他のメンバーもウルウル来てたのは嬉しかったし、なんで主宰者のわしよりお前らが感動してんだよってむかつきもした。

 そして、いつまで感動だなんだってやってんだよと思った。のるては現時点での代表作だ、が演劇人生の代表作にしては行けない、当然第17次笑の内閣(タイトル決まってないけど)の上演後は第17次を代表作にしなければならない。確かに、4都市19ステやって、4ヶ月みんなで必死に本当に良い作品を作る上げた事は、演劇経験の少ない子らには十分に感動に値するかもしれない。しかし、我々はこれを「この程度の事」にしなければならない。サッカー日本代表がワールドカップで優勝すれば、それはもの凄い感動である。が、ブラジルやドイツがベスト8なら「この程度の事だし」なんでベスト4以上行けなかったんやという大ブーイングである。感動をしているということは、我々はまだ日本代表クラスである。しかし、ブラジルにならなければならないのだ。

 私も昨日はさすがにちょっと感慨深くなった。だから、メンバーがしばらく感動し、そのあまり燃え尽き症候群になってくれるのは嬉しい、しかし私はすでにとても不満足だ。1000人来なかった事を筆頭に、不満足な事が山ほどある。そして、ある意味物理的な人生を終えるまで、感動出来ないくらい演劇に関われるようになりたい。次、感動をする時は、演劇人生を終えるときかもしれないからだ。だから、演劇を続けていく、次のステップであがっていこうと思う以上、演劇で感動する事は諦める。他のジャンルで感動するより演劇で感動する方が気持ちいいが仕方ない諦める、子供で来たら多分感動すると思う士、早い事収入あげて子作りするとかにシフトする。他人に託す感動(スポーツ観戦とか)より、自分で起こす感動(演劇とか、自分でやったスポーツで勝つとか)のが気持ちいいに決まってるが、感動はスポーツ観戦とかで妥協する。演劇では諦める。

 そうなると、感動を求めてくるメンバーを切らなきゃならんことにもなってくるだろう。それはすごく辛い事だが、参加者が感動してるなんざお客様には何の関係もない、クオリティの高い芝居を作れるかどうかだけだ。せめて、お客様を感動させるをしたい、それ自体がすごく難しい事なんだから、それができれば十分だ。

 とか、いいながら、これまで3都市、大阪でも18ステ目までMVPに一票も入らなかった勇作役(そもそもタイル時代も入ってないから入りにくい役なんだが)の中西が、楽ステで2票入った(しかも明らかに、中西の友達ではない)のは感動したなあ。泣きながらわしが譲った乾杯の音頭をとる中西みて、感動ってのはヤラセでは出来んねと思った


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