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2012/02/05(日) 作道、考えを改めろ!
その意味で、作道の「選挙に行こう」って関連のリツイートにイラっときたって書いたブログを読んで私は、心底彼に失望した。鍵ブログに関して批判するのはマナー違反だが、好きなやつだから、極端に批判する。彼の意見が本心なら芝居をする資格はない。面白くない奴でも芝居をする自由はあるが、芝居をできる環境を整える努力をしないばかりか、それを自己正当化する奴は芝居すんな、迷惑だ

まず、私は前提として、リツイートなんて当人の自由に任せるべきで、本人の対ーとは面白いのにリツイートは見てイラっとくるももが多いなら、フォローははずさずリツイートだけ反映されないようにすればいいだけなので、この時点で議論は終りなのだが

 さらにまず言うと、私は「投票に行こう」って言葉自体は、偽善だと思う。実際は「投票に行って、自分が推してる候補に入れてくれ」って言うべきである。私が立候補するなら、低い投票率で当選するくらいなら、高い投票率で落ちた方がいいなんて思わん。橋下と平松さんは21万票差だったが、橋下に入れるような馬鹿のうち22万人は投票に行ってほしくなかったもん。私は自分は優れた人間だと思ってるので、私の1票が政策も見ず雰囲気だけ入れるような馬鹿と同じ1票であるというのが腹立たしい。森総理じゃないが、危険な候補に入れるくらいなら「寝ててくれりゃいい」と思ってる

 が、いかないことを正当化されると腹立たしい。そのへんのDQNが言うならともかく、創作をする人間が、あの日記はまず基本的なミスが何点かある

 まず、統計学的にある程度母数があれば、有意な差がない(統計学でいえば、2000人に聞けば、実際の結果と変わらなくなる)から、投票率が45%でも90%でも結果が変わらないというものである。例えば、新聞の事前予測は2000人くらいに世論調査しているので、選挙の予測はほとんど新聞の予測通りになる。なので、実際の民意でいけば、、投票者が2000人いれば大丈夫という論理には…ならないのである。組織票である。世の中には、雨が降ろうが槍が降ろうが絶対に投票に行くという人間がいるのである。それが一番顕著なのは某宗教政党であり、その政党は投票率50%でも70%でも一貫して750〜800万票程度をとっている。その政党が50%で800万とってたかたって、100%になれば1600万票とることも、10%なら160万票になることもない。なので当然、投票率が50%ならその政党の当選者は多くなり、70%なら少なくなる。それくらいは、データを調べればすぐ出てくる。つまり、この推論は完全に間違っている

 次に、白票でいいから投票率を上げる意義というのもあるのである。選挙に出馬するには、供託金というお金が必要だ。京都市長なら300万。これは総得票数の10分の1をとれないと没収されるのである。今回は一騎打ちでどちらもクリアしたので、没収はなかったが、例えばもし一騎打ちに私が割り込んで三つ巴になったとしよう。今回の総得票数は約41万票なので、私が4万2千票とれば没収は免れる。しかし、門川にも中村にもまして高間にも入れたくねえって人が2万人白票を投じに行けば、総得票数は43万票。あわれ、4万2千票の私は300万没収だ。京都の財政赤字において、300万税収が増えることは微々たるものだが、白票にも意味があるのである。そして、これは理論ではないが、私は実際選挙に現場に行って、政治家ってのは我々が思っている以上に白票を気にしているものである。

 まあ、これは単に勉強不足で済ませられる。が、こっからは私も感情的になるが、あまりに政治意識が低いので心配になるのである。

もうひとつ言うと、実際言えば私は一人ひとりの一票が結果を変えるなんてのはあり得ないと思ってる。なぜなら1票差なんて田舎の町議選とかしかないからだ。真の選挙てのは知り合いを駆使して、お願いをしまくり具体的に10票、20票を増やしてはじめてやったことになる。私は保坂展人や鈴木正穂の票を15票くらいは増やしたわけだし

 これは私の趣味だし、普通の人はそこまでするのはめんどくさいからいいとして、がたかが5分早く起きて投票所までいって票を入れるという作業がどれほどめんどくさいことなのかというより、それが楽しいこと、必要なことと思えていない時点で、同じ演劇というジャンルにかかわってほしくないのだ。

 演劇、じゃなくてもあらゆるジャンルにおいて、ルールを決定しているのは政治である(私はマナーやモラルのような曖昧なものは軽視している)。劇団は、自分らが属するコミュニティに有利なようにするため働きかけるってことを当たり前のようにやっている。ただ宣伝するだけじゃなく、評論家にDMを送ったり、上の世代の人に招待券送ったり。政治に参加し、演劇に有利な政策をしてもらえるようにするというのはそれらと一緒である。なので、その作業は本当は強制したい、が、私はあらゆることを人に強制しないことを信条にしているので矯正まではしない、が、「それをしない」どころか、「しないことを正当化」「しないことを恥じて隠さないどころか、堂々と表明する」というのは我慢ならない。せめて隠せ、実際に投票に行かなくてもいいからこの文章を読んだら「すいません、次からは行きます」と言えと思う。

 私は究極は自分の芝居以外の芝居はそんなに好きじゃないし、自分さえよければいいので、明日橋下が「笑の内閣は、永久に税金で保護、他の劇団は非合法化」って言ったら喜ぶけど、実際はそうではないし共存共栄の方が自己利益になる確率も高いと思うから少しでも自らが属する演劇というコミュニティをやりやすい社会を作るために活動しているので、作道のような考えは邪魔だ。私はどんな面白くない劇団にも表現の自由はあるから「芝居やめろ」とは言わんが、芝居ができる環境を維持する努力をしない奴は邪魔だ。解散しろ!


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