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2012/04/25(水)
愛は理不尽
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女の何が嫌だって、理論的じゃない所である。
私もけっこう感情的な人間だが、感情でものを判断するのは一種の恥だと思っている。感情で判断したことも、いかに自分に大義名分があるかのように、理論武装するかを考えている。私の言論活動など、常に自己正当化だ。向坂は、高間脚本はすべて自己弁護だから良いと評価しているくらいだ。
恋愛においても、理論的でありたいと思っている。私は片思いしない、付き合う前に好きにならないので(じゃあなんで自分から口説くんだっていうと、いくらなんでも誰でも良い訳ではないので、選定ポイントがあるわけだけども)、理論的に行動はしやすい。別れたい時でも自分勝手な理由でふると大義名分がなくなるので、なんとか相手にふってもらおうとするしね、おかげで自分からふったことはない。
しかしまあ女は、そういうのを気にしない。平気で理にかなわない行動をする、恋愛においても大義名分を気にしない。だいたい、理論的に考えたら、私みたいなクズと付き合わない理由などいくらでもあるのに、わざわざ大義名分を放棄したような理由でふったりするので、もう少し私も世間も納得できるような理由を考えられないものかと思う。今までで一番腹が立ったのは、大学の最初の時に付き合った子が、まあ病んでるさんで私は大そう看病したのだが、「響が一番、面倒見てくれるし、自分にとって一番良いのはわかるが、別な人が良い」と言って来やがったことである。まったくもって理論的ではない、なぜわざわざ一番良いところを放棄せねばならぬのだ。なにより、当時の私の看病などたいしたことないレベルなのだから、一番良いわけではないのだ。ならウソでも、理論的に私ではダメな理由を説明すべきであろう。
と、ここまで書いているけれども、愛という感情は残念ながら、そこまで理論的ではない。それこそ、その上記の大学最初に付きあった彼女は、理論的に考えると明らかに、こじれた段階ですぐ別れるべきだった。しかし、「この子は私がいないとダメだ」という、理論的ではない感情をいだいてしまったせいで、結果的に「私がいてもダメだ」と気づくまで泥沼になってしまったのである。まったくもって愚かな選択をしていたと思う。
で、愛国心である。私は出身国なので、日本が好きだ。しかし、出身国なのでというのは、ぜんぜん理論的ではない理由だ。理論的な理由もある。豊かな方だから、食べ物とか不自由しないし、娯楽も多い。ただ、じゃあ飢えてる国に生まれていたら、母国が嫌いだったかというと、ちょっと想像がつかない。それでも好きだったかもしれないし、もっと先進国に生まれたかったって思ってたかもしれないし。
ただ、理論的な理由でも、理論的じゃない理由でも、愛国心はあった方が良いとは思う。もちろんありすぎると暴走してあかんが、母国が好きな方が人生楽しいし、周りの人もハッピーにしやすい。
が、男は好きな理由を無理やり理論的に説明しないと気が済まないので、変になってしまうのではないだろうか。別に母国だから自然に好きやねんでいいところを、日本は先の大東亜戦争でアジア諸国を植民地から解放したからとかなってしまうのである。じゃあ、あれが侵略戦争だったら、日本が嫌いになるのかと言ったらそんなことはなかろう。私は、戦争でいくら殺してようが、今の政府が無能だろうが、日本が好きである。日本が世界で一番ダメな国でも日本が好きだろう、まさにダメ男好きの境地だ。自国がすばらしい国だというのより、自国がダメでもダメな所がかわいいってのが真実の愛ではないだろうか。
そういう意味で、うちの妻は、私のダメな所を愛してくれるし、一回別れた時もとても理論的な理由で別れを告げたような人なので、今後なにかがあっても納得できないと言うことは無いでしょう。だから、結婚願望なんぞさらさらなかったのに結婚したんですね。はい、のろけだよ、それが言いたかったんだよ。
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