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2013/11/01(金) 差別は楽しいのか
と、いうわけで昨日の滋賀差別の話は、本気で怒ってくる人がいなくて良かった。みんなちゃんとシャレだとわかっている。

 しかし、京都の人が滋賀県民を滋賀作と馬鹿にしているのは事実だ。別に私は滋賀県民に迷惑かけられた事も無いし、眞野や山本くんはじめ多くの滋賀県民に助けられて演劇をしている。しかし、悪ノリして滋賀作滋賀作いうてるのも事実だ。そもそも京都ヒエラルキーの中でも、山科は滋賀だし、南区はスラムだし、伏見はヤンキーだし、西京区は地下鉄のびるって騙されて家かった馬鹿扱いで、まして市街となれば八幡は歩いたら身ぐるみはがされるし、亀岡なんか人の住むとこじゃない扱いである。一歩劇団に言っても、ひろふみは気持ち悪い、髭ちゃんはモテないし素人童貞、聖羅は貧乳、ちひろはデブ、川崎はまともに喋れん、廣瀬の愛ちゃんはチビ、木村は早漏扱いである。髭の素人童貞以外本人の責任じゃないのに

 何故こんな事がまかり通るのか、それは人は差別が好きだからだと思う。差別はされた方もした方も傷つくなんて嘘で、人は差別も争いも大好きなのからではないかと思う。

 「ツレウヨ」は初演から1年半たった。「高岡蒼甫のフジ批判騒動」から書いた作品なので、昨秋に再演が決まった際は「タイムリーじゃなくなる」て心配もされたが、そもそも「愛国心と愛」という普遍的なテーマで書いた本なのだ。「うちは人数多くてその時しか出来ない芝居が多過ぎて、売り公演の話が来ても対応出来ない、商業的に勝つためにいつでも再演可能な、内閣に取ってのウィンズオブゴッドをつくる」て名目で作った作品だから、狙い通りなのだ。

 ところが、そううまくもいかないもんで、1年半前からネトウヨ研究は進んで、前回の脚本だと古い説になっているものもある。代表的なのが、1年半前は「ネトウヨ下流若者説」が主流で、いわゆる収入も低く人生もうまくいってない社会への恨みを在日にぶつけているという説が強かったので、主役のそうすけも「仕事をやめてニート」髭が演じる内藤も「彼女がいないクズ」で書いたわけだが、研究が進んだ結果、ネトウヨはそんなわけでもなく、収入が多いホワイトカラーや、裕福な年配や主婦(今時、主婦なんて特権階級ですからね)もたくさにいることがわかっている。確かに考えてみりゃあそうで、あの旧皇族の竹田恒泰だって、在日特権がなんだとかデマを言うわけだ。売れない演劇人の私と、旧宮家の竹田恒泰とどうかんがえたって竹田恒泰の方が幸せじゃないか

 これは、脚本書く身としても、一個人としても難しい。私は、就活で一個も内定取れなかったから、仕方なく芝居で売れるしか生きる道が無い貧乏演劇人なので、左右の違いこそあれ自分を売れさせない世の中を恨んでいる。恨みの対象がたまたま体制なので、報復として反体制をしてるだけだ(ですんで、私に補助金さえくれれば喜んでプロパガンダするよ。本当、安倍さん悪く書かれたくなかた金くれ)。なので、恨みをぶつけたいてのはわかる。それが、なんで在日なのかは全然理解する気はない(ネットを信じちゃってるからだろうけどね、ヒロフミみたいなパチンコ屋に勤めてて酷い目にあった恨みってのもあるが、まあヒロフミは本当に最近ネットのデマばかりリツイートするネトウヨ化が酷いので叩きのめす)

 ところがどっこい、が幸せなのにさらにネトウヨとなると非常に理解が難しい。と、いうかそれだとドラマにならない。実際に朝鮮人に迷惑かけらたならわからんではないが。なんでネットだけであそこまで憎悪できるのか

 で、なんてか考えたら楽しんじゃないかと思うんですね。私は史学科で近現代史の授業の「なぜ学生運動は衰退したのか」という課題のレポートに、多くの学生が「過激化による世論離れ」「豊かになったから必要なくなった」「大学の管理強化」などを書く中、私は「元々みんな楽しいから、モテたいからやってた。他に娯楽が出来たからうつった」という説を書いて、先生に褒められたのだが、差別が娯楽なんじゃないかなと思うわけです。

 わからんことはない。だって、劇中で大声でおまんこって叫ぶのは楽しい。だったら彼らが新大久保や、鶴橋で「朝鮮人は毒飲め首ツレ」と叫ぶのは楽しいのかもしれない。

 ただ、私は劇場という密室の空間で、私がおまんこというと不快になる人は、嫌なら来るなと排除する環境でそれをやっているわけだが、彼らはわざわざやってるという点では許容出来ないのである。

 なにより、それでは深見がなさ過ぎる。演劇なんだから、やっぱり主人公がネトウヨになった背景をしっかり書かないとならない。そこで来たらやはり「楽しいから」より「社会への恨みが在日に向く」じゃないと物語にならない。私はジャーナリストじゃなく作家なんだから、そこはそう書いていいだろう

 そしてなによりツレウヨの真のテーマは「ネトウヨ研究」ではない。ネトウヨだけだと、いずれ廃れる。しかし「愛国心」はたぶん、私が死ぬまで普遍的なテーマだ、そしてなにより「愛」だ。愛は多分、なくならない。愛についてはまたこれからグダグダ書いていくのでよろしくです。
 
 予約は
 http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_id=49949


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