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2013/08/18(日)
事実だから、必要だからでは弱い
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さて、話題の「風立ちぬ」に日本禁煙学会が抗議した件と、「はだしのゲン閲覧禁止」の件である。両方とも、けっこうな批判が上がっている。「非実在少女のるてちゃん」で表現規制と戦った私としては、表現狩という理不尽な者に対し抗議が上がるのはありがたい反面、結局は「ロリコン」より「喫煙」の方がまだ許容されるだけ、「ゲン」は名作でみんなに読まれてるから許容されてるだけなんじゃないかというむなしさもある。「風立ちぬ」の主人公が煙草じゃなくマリファナであっても、「ゲン」じゃなく、無名のエログロ漫画だったら、ここまで批判が上がるだろうか。しかし、「表現の自由」という観点では一緒である (まあ、無名のエログロ漫画なら、そもそも学校の図書館に置くべきじゃねえだろってはいいがね)
私が今回のこの2件の問題でちょっとまずいなと思ったのは、規制派、反対派ともに「歴史的事実だから、歴史的に間違っているから」という観点と、「物語上、必要な描写だからOK,必然性がないからいらないだろう」という観点がだされている点である。しかし、これはおかしい。なぜなら、「物語」に歴史的にあってるかどうかなんていらないし、「必要な描写か」なんてそんな主観的なもので判断されたら困るからだ
例えば、徳川家康に爪を噛む癖があったという(本当に事実かは怪しいところもあるが)ところから、爪を噛んでいる映像作品は多い、これは「そのとき家康はイライラしている」という演出上「必要な表現」である事は間違いない。しかし、「汚い」と思う人もいるのは間違いないだろう。私はそれに対して「汚い」「マナーが悪い」なんて抗議をする奴野暮だと思うし、だったら見るなと思うし、子供が家康のマネをしたらなんて言う親がいたら大馬鹿だと思う。しかし、それに対する反論が「事実だから」「必要だから」じゃどうなるのか
しかし、現に歴史的事実であっても、家康と井伊直政がアナルセックスしている事実は描かれてはいない。「戦国大名のほとんどが衆道をしていた」という歴史的事実は、「視聴者の不快」理由に描かれてないのである。いや、別に家康が側室とセックスしてるとこだって描かれてない=同性異性のセックスとわず性描写が不要て言ったらどうなるか?じゃあイライラしてる描写だって、別に爪を噛まなくても、物でも蹴飛ばしたり軍配を投げたりでいいじゃんてことになってしまう。
だいたい、すべての表現に必然性などあるわけないじゃないか。例えば、私はほとんどメガネをかけて舞台に立っているが、メガネをかけている必然性がある役で出たときなど「石原慎太郎(をモデルにした役)くらいしかない、しかしわざわざコンタクトにするのがめんどくさいから、秋篠宮殿下(をモデルにした役)とかルドルフ・へスとか、DJ・DAZAIとかメガネをかけるわけにはいかない役以外はかけてるけだ。役作りにこだわりまくるなら、この人はいつ視力を落としたのかとかまで考えないとあかんのだけど、そこまではしてられない。
ましてや、「事実ではない」に対したらどうするんだって、まず屋内のシーンなら夜は顔が見えんし(戦国時代の屋内は暗すぎる)、言葉も通じない、「物語」なんだから脚色は当たり前である。
なので、「当時は喫煙は当たり前」て反論だと、社会が喫煙を事実でってモ許容出来ない悪にしたら反論出来なくなるし、「必要性がある」からて反論だと、必要性がないて主観で判断されたら反論出来なくなる、それでは弱いと思うのだ。
なので、「嫌なら見るな」しかないと思うのですね。まあ、私はこう書いてますが、大衆に迎合するので、これからも穏便で皆様から嫌われない表現を続けていく所存でございますけども。
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