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2014/12/20(土)
福島旅行まとめ1
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「超天晴!福島旅行」は先日の打ち上げをもって一応これで完全終了した。昨年の11月にゲンロンの「福島第一原発観光地化計画」を読んでほぼ1年ツレウヨの公演と並行してやり続けた事もこれでいったん終了である。 もし、再演ということがあってもまったく同じメンバーでやれることはない。いや、あるかもしんないけど、ほぼ客演である以上そう易々とは出来ない。いや、今回は本当に良い座組で、やっぱり力関係的にわしから頭下げて出てくれじゃなく、オーディションやって出たけりゃ来いてやると、モチベーションが違うなと思います。まあ「扱ってるテーマのことよく知らないけど、コメディとして面白い」が多いいつもと違って「自腹切って、福島まで勉強合宿に行く」意識高いメンツがそろっていたということだ。これは本当に良かったと思う。おかげで京都もアゴラ滞在期間も充実していた。公演終わってすぐ愚痴を書いたけども、まあその後いくつかありがたい話も頂いて、嗚呼ちゃんと見てくれてる人はいるもんだなとは思った。相変わらず下手だけど、高安さんのワークショップのおかげで少しはましになったし ということで、演劇的にも、私のチャンスとしてもまあ向上したわけだけども、最後は福島のためになったんかである。いや、すでにお客さんの中でうちの芝居みて福島に行った人もいるようだから、成果を出したって言えるし、そもそも、私は第1議自己満足、自己利益のために芝居やってるんだからその成果はでたし、第2議はお客さんを笑わせるためにやってるけども当然のごとくそれも達成したんだから、福島のためになったか気にするなんて、偽善欺瞞にも程があるのだけども やっぱり表現規制だって、ダンス規制だって、ネトウヨ問題だって、自己満足自己利益と笑のためにやったけど、もっとダイレクトに「役に立った」自信はあるのね。風営法なんて改正目前になってるし。それに比べて、福島はやっぱり、一番最初に想像した通り、どうだったんだろうかと思わん事はない。いくら自分の為に、笑いに来るお客さんに笑ってもらうために芝居を書いてるとはいえ、作品を作る事で副作用的に人を不愉快にさせるのは(なる人がいるのは仕方ない、そのために芸術の手は緩めないとも思ってるが)、積極的にやりたいことではない(ネトウヨだって、積極的に怒らせて楽しんでるわけじゃなく、ちゃんと目覚めて馬鹿な事はやめてほしいと思ってるんですよ) 前とまったく同じ事を書くけども、福島に取材に行って一部の方から「笑い」で取り上げることに不快感を示されたことは本当に、本当に、演劇人生で一番とまでは言わないけど、5本指に入る悔しさ、挫折が会った。うちの作品を見たことないなら懐疑的になって当然である。当たり前だが、笑いと言っても揶揄したり馬鹿にしたりではない、私は笑いはこの世でもっとも尊いものだと思ってるし、現在の福島の笑えない状況からも、笑いを生み出して面白く役に立つ作品を作る自信はあったし、実際そうなった自信はある。しかし、言葉を使う人間でありながら、「作品」の前の「プレゼン」の段階でそれを伝えられなかったのはすごく悔しい。見てもらえば誤解を解く自信もあるけども、そもそも誤解させたのが悔しい。そこまではなくても、結局複雑な思いをさせてしまったなあと思う福島の人が何人かいて、そもうち何人かは見に来てくれて「まあ、心配して見に来たけどこれなら大丈夫だわ」って言ってくれたのは良かったけど、結局はほとんど見て頂けなくて、あー単にしつこく来て来ていっただけの嫌な奴になってるなあ(だからって作品見てもらう意外に払拭する機会もないんだから、しつこく言うしかないのだが)、わしも辛いが相手にはもっとしんどくさせてしまってるなあという、申し訳なく思う感情があるなら、そもそも創作活動するな、関わる相手が不愉快に思っても気にしないタフさをもたないなら、こんなテーマでやるな自我があるわけです。
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