|
2014/03/10(月)
不快な表現をどうするか
|
|
|
ツレウヨの感想を見ている
ようやくのこと批判的というか問題点を指摘した意見が出て来て安堵している。書いてる段階で、このままごまかしきれたらどうかなと思ってたところがいくつかあったからである。http://togetter.com/li/605099
例えば、金村というキャラクターを元在日の警察官にした理由は、本当は警察官の部下の役と、在日として誇りを持って日朝ともに愛してそうすけを叱るキャラは分離させて配置したかったのである。ただ、役者が増えれば支出も増えるし、キャラが一人増えれば、そのキャラにスポットをあてるために上演時間も3時間こえてしまう(他では、真実だってあおいの友人と店員は分離させたかったし、内藤の彼女役だって出したかった)、そこで金村は警察官になり、である以上は帰化させないとなれないからああしたわけである。
しかし、そうなればどうしても、金村の心は朝鮮<日本になってしまい、さらに祖国を嫌ってした設定にまでしてるわけで、すでに朝鮮学校の生徒さんにも招待状を出している手前、本当にそれで見せても不快にさせないかなあと悩んでもいたわけである。
それでも、2時間未満という上演時間の間で客席のうちの多数を納得させて「面白がってもらう」ためには、これでいくのがベストでなくでもベターやと思ったし、不快にさせた人には個人として申し訳ないでいくしかなと判断したわけです。
逆に言えば、そうすけがニートだって設定もそうである。ネトウヨはニートで引きこもりなんてのは、偏見に基づくイメージで、実際はある程度裕福で満たされているはずの層が多い。じゃあ、なんでそうしたかというと、なんでそんな層がネトウヨになっちゃうの?て説明をしたら2時間で収まらないし、なんでそんな層が平日の昼間にスーパーや大学の研究室に抗議に行けるの?てのを解決するより、ニートにしてしまった方が早いわけだ(あと、一番しょうもないのが、最初の通報で生活安全課が来るのはおかしいとかアンケートに書いた人がいましてね、そりゃあ本当は地域課が来るのはわかってるけど、制服を買う予算がないからである)
同性愛表現に対する指摘も多々あった。私は笑いのネタにする=蔑視しているという考えはまったく組みしないので問題だとは思っていないが、思う人がいるというのはわかる。同性愛表現が出てくるだけで反応する(ツレウヨでは、メンヘラや容姿がブサイクであるといった、同性愛と同様に生まれつきの要素が強いの属性を笑いのネタにしているシーンが多々あるにも関わらず、そこへの指摘はない)ことに対しては、正直なんなんだと思う事はあるが、不快になるというのであれば、それは申し訳ないというところである。
じゃあ、なんでそこまであっても同性愛ネタをいれてるかとうと、それはうけるからである。誤解されちゃ困るけども、私は個人としては同性愛、メンヘラ、ブサイクに対する差別を容認しないから実生活では許さんけども、創作の中においては、必要なシーンであれば社会にそのような差別がある事を前提で書くことはあるよ。私が演劇を作る中においては、笑いを取ることが目的であるからである。実生活で民族差別を許さないのは当たり前、で、劇作の中でも民族差別を非難しているのはその方が面白いからである。うちはけっこう毎回男同士でキスをさせてる、それは腐女子のファンがたくさんいて、毎回今回は誰と誰がキスしてくれるかなて楽しみにしてるファンがいるからである。それがどうしても嫌だというなら、うちより先に楽しみにしてるファンの方をやってほしいもんである。啓蒙のために芝居してるわけではないのだ これは、非難ではなくて創作に関わっていない人間が混同するのは仕方ないと思うけども、「自分の思想」と「作品」は一致しないのである。百田氏と永遠の0についての日記で詳しく書いた http://diary1.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/hibisama/?Y=2014&M=2&D=27 が、実際は多分特攻を美化して考えてるであろう極右の百田が、「永遠の0」を必ずしも特攻賛美な作品にしていないのは、「作品は、自分の主張ではなく、読み手を楽しませるもの」と割り切ってるからである。私ももの凄く言い方悪く書くと「差別を許さない気持ちが会っても、劇中で話を面白くまたは円滑に進めるために、差別的構造に起因する展開があった場合はそれを排除しない選択」だってあるわけですよ。私はフィクションんを作る人間として問題がないとは思わんが、許されんことだとは思ってないし、それを犠牲にして面白くなくす方が問題や思ってる。そのかわりお詫びとして実生活では差別をなくすように行動してでもだ
一番端的に言えば、けっこう最後にあおいと蒼甫がヨリを戻して感動したとか書いてる人多い中作者の私が言うのはアレだが、私はそれでめでたしめでたしだと思ってない。私があおいの友人なら、絶対に蒼甫とは別れろ、金村とつき合えという。あれは絶対にすぐ別れ(そしてヨリを戻すを繰り返しお互い消耗する)る。ただの不健全な共依存だ。私は日本がダメなところも含めて好きなだめんず愛国者だが、それが正しいとも思ってない。それでもああいう良い話っぽくしているのは、あれで別れてひーこらじゃ面白くないからだ。
てことで、不快にさせる表現があったことに対して申し訳なく思うし、しょうみ京都まで案外ちょろくごまかせんなと思えてたので、指摘があって本当に良かったと思う(例えば「キチガイ」て単語を多用していた事への指摘は、まったく問題を感じてなかった=演劇界において「キチガイ」は「精神異常者への蔑称」て使う人等いなく、褒め言葉になっていて、よく使う単語なので当たり前の用に使っていたが、これでも不快になる人がいてかつキチガイは無理して使わなくても、面白さを損なわずに置き換え可能な単語なので、これは改善しようと思う)。今後も、面白さと表現のバランスを考え創作したいと思う
|
|
|