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2014/05/17(土)
双葉郡に行って来た
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13日に双葉郡の居住制限地域に行ってきました。
まだ、行ったうえでの考えをかけません。もちろん思うところはたくさんあるわけですが、まだまとまった文章化するのが怖いので、今日はもう写真と工程表だけ書きます.
11日に新潟行ってりゅーとぴあみて、新潟競馬場で篠崎愛ちゃんみて、会津若松に宿泊後12日に、栄螺堂と鶴ヶ城を観光し、郡山で浪江から避難している人に取材し、いわきでは7人程取材。湯本温泉の各安宿に泊まり翌日、レンタカーを借りていわき駅を出発
昨日最後に会った人から絶対線量計を持って行った方がいいと貸してくれたので計りながら北上。まずは、現状の終着駅である広野駅へ。モニタリングポストの線量と、手元のが違うので手持ちはなかなか正確ではないのかなと思う(うっかりだと、手持ちが正しい隠蔽しているとか思ってしまう人がいるだろうなと思う)
続いて作業員の方々の作業ベースである、Jヴィレッジへ。サッカーの聖地的な場所なので、サッカーの展示も面白いが全国から作業員の方へのメッセージなどがあり読み応えはあった。インフォメーションの人に、どこまで見ていいのか聞いたら、「一応関係者以外お断りです」だったのだけど、それまで何回もすれ違ってので(関係者には見えん格好)気付かなかった、すいません。
そのまま富岡駅へ。ここは津波の被害が生々しく残っている場所だ。写真のように(さすがに民家をとるわけにはいかないので、工場や車)そのまま残っていた。建物や車や船(岡に上がった船というのはなかなかくる)もぐさっときたが、それより線路に草がぼーぼー(その先に第二原発が見える)に生えてるというのがなかなかきいた。住民を誘導して津波に巻き込まれ殉職した警察官が乗っていたパトカーもみた。丁度、警視庁からの応援の人も一緒に慰霊していた。近くでは除染作業をしている人もいて、邪魔にならないか心配だったが、意外と挨拶をしたら気軽に話しかけてくれた。
そのまま立ち入り禁止の期間困難区域の境である夜ノ森の桜のトンネル付近に。写真のように道の真ん中にバリケードがはってある。道路は参で数メートルしか離れてないのに手前の家は住めないとはいえ荷物を日中ならいつでも自由にとりに行けるのに対し、奥の家はそれも出来ないというのがなんともであった。そこまで行くと、毎時2・53マイクロシーベルトだった。
そのまま東京に帰り、2件の取材と別件(劇作家大会の打ち合わせに協会事務所にいったり、週刊現代の記者にお礼や、山田議員とニコ生出演、中学時代の友達と飲みや大学時代の先輩が一日店長してるバーで徹夜など)をすませて京都に帰って来て2晩目だけども、まだこのように行動目録を書くだけで、思いまで書くに至らない。色んな意味で、悔しいさがたくさんある旅だったのだ。
ただそれによって、東京滞在中に完全にプロットが固まった。福島に行ったからこそ、私には描けない現実がたくさんあって、その中で描ける福島が明確化したので、もう少ししたらそれ含めて書きます。
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