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2014/07/20(日) 和解
札幌に行って来た。演劇関係者と飲んだりなんだりしてきたが、メインは演劇部時代の顧問と飲んで来たのである。

 私は顧問の先生を、直接会った人間の中では一番尊敬しているのですが、http://diary1.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/hibisama/?Y=2014&M=2&D=16  の日記にもある通り喧嘩をしていたので、まあもう一生和解する事もないと思っていたのですが、これを見て「文句があるなら直接謝罪しにこい」とメールが来たわけです。

 確かに、うちの公演に色々言われた事は怒っていたわけですが、そもそも怒られる原因に関しては本当に今思い出しても恥ずかしいことばかりしてまして私が100%悪いと思っていたわけですから、素直に謝ったところ、急転直下和解することになったのです。私と先生の確執は南空知演劇部関係の方からすると海原雄山と山岡史郎が和解したようなものです。

 もう一生和解はねえやと思って放置しておいたのだが、筋さえ通しておけば和解出来るんであれば、4年前の最初の札幌公演の前にしておけばよかったという後悔ばかりであります。先生には札幌に持って来た3作品見てほしかったし、特にツレウヨ札幌公演動員199人だからねえ、和解さえして先生の都合会えば200人言ってたがな。

 知らなかったのだけども先生はわりと気にしていただいたようで、私の最近の活動履歴も知ってはった(先生は高校演劇界では全国飛び回ってる方だし、手前味噌だが私も知名度は出て来たのでお互い自然と活動が耳に入るというのを加味しても)のである。先生の長い教員生活の中でも、(良い意味よりも悪い意味でものが強いが)印象に残る生徒であったようで、同席してもらった後輩もそれに対して嫉妬してくれたのが嬉しかったのですね。まさに雄山のわかりにくい愛情表現に、ガキすぎる史郎が無用な反発をしていたようなものです。劇団としては、もう札幌公演はこれ以上はいいかなとも思ってましたが、やはりまた見てもらいに来たいのですね。


 もうひとつ、高校1年の時の担任だった地理の先生が2月に亡くなられたのでお線香もあげに行ったのであった。その先生と、教育実習の時にお世話になった世界史の2人は仲が良くて社会科準備室でしょっちゅう時事ネタ談義をしてはったのだが、私は放課後そこに混じるのが好きだった。先生はたぶん日教組には入ってはいたと思うんだが、いはゆる日教組的なイデオロギーに偏らない、もの凄くシニカルでニヒリズム的な時事問題の見方をしていて、政治・経済・社会問題などを一歩引いた形で観る視点を叩き込んでくれた先生なので、先生なくして笑の内閣の時事ネタ路線はなかったといえる。また、高校の大先輩かつ立命OBなので、先生以外に北海道の高校から京都に進学した先生が他にいなかったため、京都に行くための進路相談もしてもらったので、正真正銘先生なくして笑の内閣はなかったといえる。いや、まあこれは東京で劇団旗揚げしてた方が売れてたかもしれんけど(とか、書くから支えてくれる仲間に怒られるのである)

 ツレウヨも見てほしくて正月に電話をかけた時「俺大病患って元気内から札幌には行けんわ」と「どこが元気ないんですか」とつっこんだくらい元気そうな声を聞いて1カ月後に亡くなられたので最後に話せて良かったなと思う。同じクラスだった女子もツレウヨ見て「これは先生の影響を凄く受けてる。見せてやりたかった」と言ったように、本当に見てほしかったなあと思う。


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