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2004/10/03(日)
「足腰の強い教会へ」 (聖書)ローマ6:15〜23大嶋博道牧師
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10月3日総員礼拝説教 序 論: まず、「足腰の強い教会」とは何を意味するか?明らかにしておきましょう。 「足腰が強い」とは、建物がしっかりしているとか、会員数や礼拝出席者数が多いとか、財政面で充実しているというような〔外面的な強さ〕ではないのです。また、よく祈るとか、よく伝道するとか、よく奉仕するとか、よく献げるとかいうことでもないのです。もっと根本的な足腰の強さは、クリスチャンが、また、教会が神様から“召された者”として問われる「内面的なもの」すなわち「質」にあります。言い換えれば、「信仰の強さ」でありましょう!それは、 @主イエス・キリストの十字架の贖いに立脚した信仰 A神のみ言葉に立脚した信仰 B“愛”に立脚した信仰 実はこのような教会は、聖霊を受けた2000年前の最初の教会の中に見られました。 使徒言行録2:43〜47 (1)信者たちはみな一つになって、すべてのものを共有した。(分け合う群れ) (2)心を一つにして神殿に参った。(礼拝の群れ) (3)家毎に集まってパンをさいて、喜びと真心をって食事をした。(愛餐−交わりの共同体) (4)神を賛美していた(感謝の群れ) (5)民衆から好意を寄せられた。−好かれていた (証の群れ)
本 論: さて、献堂8周年を迎えた私たちも「足腰の強い教会」を目指して進みたいと思いますが、そのためには、何が求められるでしょうか?幾つかをお伝えします。 (1)「悔い改め」が謙虚になされる教会 ここでの「悔い改め」とは、自らの罪深さ、弱さを赤裸々に主のみ前に言い表すことです。試練や重荷の中で、またこの世の多忙な生活の中で、神を信じ抜くことが出来ず、祈ることさえ出来なくなる自分の弱さを素直に認めることなのです。言い訳ではなく、心の底から自らの欠けを、至らなさを言い表すこと。 (2)感謝と喜びにあふれた教会 クリスチャンでない人がクリスチャンに惹き付けられるのは、最終的には、信仰生活において本当の感謝と喜びに満ちあふれている姿であります。卓越した聖書知識、犠牲的な奉仕や祈りもそうですが、何よりも説得力があるのは「心もからだも感謝と喜びにあふれた生活」です。 (3)信仰に裏づけられた“ヴィジョン”を抱ける教会 「ヴィジョン」とは「幻」「夢」と訳せますが、元々は「遠くを見る」ことで、未来への構想、計画を意味します。「幻のない民は滅びる」という諺がありますが、教会が神の聖なるヴィジョンを抱いて伝道・牧会のわざに全力を傾けることが出来れば、教会はまさに足腰の強い教会となることでしょう。 まとめ: 司会者に読んでいただきましたローマ6:15〜23に「奴隷」という言葉が何回か繰り返し出てきます。「神に従順に仕える奴隷」(6:16)、「義の奴隷」(6:19)、「神の奴隷」(6:22) デュウロスとは「徹底的に自らを低くして仕えること」を意味します。 罪から解放されて、神のデュウロスとされたキリスト者は、聖なる生活の実を結ぶことが出来ます。そのような群れとしての教会は健全で堅固です。 足腰の強い教会、足腰の強い信仰生活を日々送りたいと願っています。
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