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2004/11/21(日) 「もう一度、喜びなさい」 (聖書)フィリピ4:1〜4大嶋博道牧師
収穫感謝祈念礼拝説教
序 論:
 聖書に記されたイスラエルの民は「感謝」の民でありました。過去になされた神の偉大なみ業を思い起こし繰り返して感謝する民でした。
「感謝」の理由として、特に、二つの歴史的出来事が挙げられます。
(1)430年という長い年月奴隷として苦痛を味わったエジプトの地からの脱出。それに続く40年間の荒れ野の旅においてなされた神のご配慮。
(2)70年のバビロン補囚生活から解放されて、祖国である都エルサレムへの帰還。

 この二つはイスラエルの民にとっては「自由と解放」を現実に味わった出来事であり、「感謝」の象徴でした。そしてこれらの「感謝」は「喜び」そのものを意味していました。

●いったい「感謝」とは何か?
 辞書によると「有り難く感じて謝意を表すこと」だそうです。
感謝を意味するギリシャ語は「賛美」、そして、感謝のうちに共に食事をすることから転じて「聖餐」という言葉にも使われています。そして、感謝は「喜び」「楽しみ」「お祝い」にも通じています。
感謝することは「喜ぶこと」であり「楽しむこと」であり、「共に祝うこと」であります。

本 論: 今朝は、フィリピ4:1〜4をとおして3つのことを学びたい。
(1)私たちの喜びの根拠は何か?
 ご存じのように、フィリピの信徒への手紙は、パウロの獄中での手紙ですが「喜びの書」と言われています。4章までの中に「喜び(ジョイ)」、「喜ぶ(リジョイス)」 という言葉が17回も使われています。(2:18,3:1参照)

 いったいパウロは獄の中の不自由な身で、フィリピの教会の信徒に何を根拠に「喜びなさい」と勧めることが出来たのでしょうか?
4:1に「だから(Ωστεオステtherefore)」という言葉があり、そのあと、「主において常に喜びなさい。」が続きます。
この「だから(ですから)」は、3:20〜21を受けての「だから」です。私たちの「喜びの根拠」でもあります。それは、
(1)私たちの本国(国籍)は天にあること。   
 (2)私たちは救い主イエス・キリストの   再臨を待ち望むことが出来ること。  
 (3)このキリストは私の卑しいからだ(みじめなからだ)をご自分の栄光在るからだと同じ形に変えて下さる。
これこそパウロの固く信じている信仰そのものであり、喜びの根拠であります。

(2)私たちはいつ喜ぶのか?(どのくらいの頻度で喜べばいいのか?)
 結論から申しますと、「常に」です。これはテサロニケの信徒への手紙5:16にも記されています。「いつも喜んでいなさい」と。
CF:皆さんの中の何人かはこう反論するでしょう「でもね、先生、喜べない時だってあるんですよ。感謝が出来ない日だってあるんですよ。私が直面している問題のことを考えたらそんなこと、到底、無理です。家庭のこと、職場のこと、健康状態のこと、経済的なこと、子どもの将来のこと、人間関係のこと・・・・・・。」
しかし、聖書は「キリスト者の生活は喜びそのものである」と言ってるのです。聖書の喜びというのは、あなたの人生が置かれている状況に左右されるものではないのです。聖書の言う喜びとは人生に対する態度なのです。
ハバクク3:17〜18(旧約P1468)を開いて読みましょう。

 このような最悪の状態の中にあっても、主に結ばれているゆえに「踊ることが出来るほどの喜び」を常に味わうことが出来る。これが信仰に生きるキリスト者の姿なのです。

(3)喜ぶことによって私たちはどうなるのか?
ピリピ4:6〜13を読むと、こうです。
 @明日への思い煩いがなくなる(心配がなくなる)
 A神への信頼が増し、すべてにおいて感謝を込めて祈れるようになる。
 B神の平安が私の人生に満ちあふれるようになる。
Cいついかなる場合においても生きる秘訣を与えられる。
D私を強くしてくださるお方によってどんなことでも出来る(すべてが可能)

今朝、獄中という最悪の状態の中からのパウロの叫びを聞きましょう。「主に結ばれた者としていつも喜びなさい。重ねて言います、喜びなさい。」



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