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2004/12/26(日) 「神のみ業は永遠に続く」(聖書)詩編105:1〜6 大嶋博道牧師
年末感謝礼拝説教
序 論:
 今朝のメッセージの中心は、一年を振り返り「主のくすしきみ業を思い起こして感謝する」ことであります。
詩篇105:1〜6には幾つかの命令形が記されています。
(1)御名を呼びなさい
(2)主がなされた奇跡のみ業を示せ
(3)主をほめ歌え(賛美せよ) 
(4)驚くべきみ業を語れ
(5)聖なる御名を誇れ(唯一とせよ)
(6)御顔を求めよ
(7)主のくすしきみ業を心に留めよ(記憶せよ=心に刻め)
 詩人はアブラハムの時代から約束の地に入るまでのイスラエルの歴史を書き記し、その中でなされた神の偉大なる、驚くべきみ業を回顧するように勧めています。それは二つのことです。
@アブラハムとの間に立てられた契約(約束)の成就
A奴隷の地エジプトからの脱出と40年の荒野生活における神の配慮(申命記1:31〜33・2:7)

本 論:
私たちのこの一年の歩みの中で、年頭に立てた計画通りに成らなかった面もありましたでしょう。悲しく辛く、心痛む出来事もあったでしょう。神様が遠くに感じるようなことも、時には疑ったり、忘れたりするようなこともあったかも知れません。
 しかしながら、2004年の歩みを振り返り、失ったものや願いがかなわなかったことを数えるのでなく、受けた恵み、神のなされたみ業を思い起こして感謝したいと思います。

 詩編103:1〜4をとおして、具体的に何を感謝するかを学びましょう。
(1)罪をことごとく赦してくださった。―十字架の血潮は罪を赦し、一人一人に永遠のいのちを与えて下さった。
(2)病いをすべて癒して下さった―様々な病い(身体的、精神的、社会的、霊的)を癒し、元気を回復して下さった。
(3)希望を与えて下さった(いのちを墓から贖いだしてー復活活)
(4)慈しみと憐れみの冠を授けて下さった。(神のご配慮、御計らい)

 まとめ:
 詩編103:5に記されたとおり「長らえる限り良いものに満ち足らせ、鷲のような若さを新たにしてくださる」ことを確信しましょう。
「神の恵みのみ業は今年も、来年も永遠に続く」のです。

2004/12/19(日)  「大いなる喜びのしるし」 (聖書)マタイ2:1〜11 大嶋博道牧師
序 論:
 聖書のクリスマス物語には「光と闇」、「喜びと悲しみ」の対照的な雰囲気が漂っています。
イエス・キリストが誕生した時代の世界は今と同様、「暗闇」が支配しており、人々に深い悲しみをもたらしていました。
しかしながら、闇や悲しみを突き破る大きな喜びの訪れ―それがクリスマスです。
クリスマスは神がイエス・キリストにおいて、罪深い人間世界に一度限り冒険された日です。人間を罪の滅びの中から贖い出そうとする神の愛が具体化した喜びの日であります。
クリスマスに見る二つの喜びを紹介しましょう。

@東方の博士たちの喜び
 マタイは、東方の占星術の賢者たちが「星」に導かれて救い主イエスの誕生の場所を訪れ、ひれ伏して幼子を礼拝し、黄金・乳香・没薬などの高価な贈り物を献げたことを記しています。
マタイはわざわざ「学者たちはその星を見て喜びにあふれた」(2:10)と述べ、その星がいかに彼らに勇気と希望と確信を与えるものであったかを強調しています。

A貧しい羊飼いたちの喜び
一方、ルカは当時の「アム・ハ・アレツ(地の民)」と言われた極貧の羊飼いたちに与えられた大きな喜びを語っています。彼らは定住の家を持たない野宿者でした。その彼らが、天の使いから救い主の誕生を告げられた時、「さあ、ベツレヘムへ行こう」と口々に交わしながら家畜小屋を探し当て、天の使いが告げたとおりの光景を見ました。 羊飼いたちは神をあがめ、賛美しながら帰って行きました。

本 論:
クリスマスは喜びの訪れの日です。この喜びが私たちの信仰生活にもたらすものを幾つか見ておきましょう。

(1)最高のものを献げる信仰
 博士たちは黄金・乳香・没薬を幼子に献げました。 大切なことは、彼らが救い主を礼拝するために労苦を厭わなかったことであります。彼らの旅は、おそらく多大な犠牲を求めたことでありま
しょう。彼らは、神の約束が実現したことを喜び、ひたすら礼拝をするために来たのです。そして、彼らがささげた礼拝のしるしは「黄金、乳香、没薬」これらは王や祭司に贈る高価な品々でした。
真のキリスト者は、神に自分をささげる時、決して物惜しみをしないはずです。ベタニヤのマリヤは、十字架を前にした主イエスに高価なナルドの香油を惜しみなく注ぎました。他人の目には無駄遣いとしか見えませんが、礼拝は感謝の爆発する場なのです。私たちもクリスマスの大いなる喜びに満たされて最高の献げものをしたいものです。

(2)苦しみの中にあって神を賛美する信仰
 信仰生活はいつもハッピーとは限りません。試練や困難や危機が突如として襲ってきて信仰を側面から揺さぶる時もあります。
本当の喜びは自分の都合の良い条件が満たされた時に得られるものではないのです。
むしろ、私たちの深い悲しみや痛みのまっただ中に共におられる愛と憐れみの神ゆえに、にもかかわらず「喜び」を味わうことが出来るのです。ヨハネが述べた「光は闇の中で輝いている」という言葉のとおりです。

(3)他の道をとおって帰る勇気
 博士たちは幼子イエスに出会って「他の道」をとおって長旅の帰路に着きました。羊飼いたちは心の貧しさと空腹から解放され、神を崇め、賛美しながら生活の場に帰って行きました。これも幼子イエスに出会って得られた「他の道」でありましょう。
「他の道」―それは、インマヌエルの神と共なる喜びと感謝と希望に溢れた道であり、謙虚に人に仕える道であり、家族や隣人を自分のようにこよなく愛することの出来る道であります。

2004/12/12(日) 「私たちのうちに宿られたお方」(聖書)ヨハネ1:1〜14
 アドベントに際して、クリスマスの意義を考えてみましょう。
ヨハネは非常に神学的な表現で「言葉(ロゴス)は肉体となってわたしたちのうちに宿った」(1:14)と、ロゴスの受肉について述べています。実はこの「私たちのうちに宿った」(エスケノー=テントを張る、住む)という出来事こそ「神の聖なる冒険」であります。
(1)クリスマスとはどんな日か?
 ある神学者がクリスマスを定義して「神が人間世界に冒険された日」と言いました。
冒険(adventure)とは危険を冒して何かをする、危険の中に身を挺することを意味します。「神の冒険」とは、神が決定的なことを私たちのためになされたことを意味します。
 新約聖書によりますとそれは、「独り子イエス・キリストをこの世に与えられた」ことであります。(ヨハネ3:16)

(2)なぜ、それは「冒険」なのか?
 ではなぜそれが冒険だったのでしょうか?この世が調和を失った罪と悪の世であり、そこに住む人間が愛を失って醜い争いを繰り返し、神に背く罪人だったからです。神はそんな愛するに価しない世界に、独り子イエス・キリストを送り込まれたのです。
 冒頭で述べたように、ヨハネは神の冒険を「言葉は肉となって、私たちの間に宿られた」と紹介しています。

(3)なぜ、神はあえて冒険されたのか?
 それは、ただ「闇」に生きる人間の罪を贖い、そこから解放するだけのためです。ヨハネ3:16は、神がなにゆえ冒険をされたのかを明らかにしています。その目的は、信じる者(私たち人間)が一人も滅びないで、永遠のいのちを得るためでした。
(ヨハネの手紙一4:9〜10参照)

(4)私たちは神の冒険にどう応答したら良いのか?
 私のような自己中心的で罪深く、未熟な者のためにあえて「冒険された神」にどう応答すれば良いのでしょうか? ただ、受け入れることです。ただ心の底から信じるだけでいいのです。そして、マザーテレサが述べているように、私たちを必要としている人に「少し痛む愛」を傾ければいいのです。私たちも勇気をもって少しだけ冒険したいものです。
 
 最後に、1900年の始めにO.ヘンリーという人が書いた「The last leaf (最後の一葉)」
に登場する絵描きのベールマン老人のように、他人に生きる勇気と希望を与えるために自らのいのちを投げ出すほどの「愛の冒険」をしたいものです。クリスマスとは神があなたのために冒険された日です。心から感謝し、喜びましょう!

2004/12/05(日) 「神の約束は実現する」(聖書) イザヤ9:1〜6大嶋博道牧師
 アドベント(U)礼拝  
序 論:
クリスマスの意義は、究極的には「旧約の預言の成就」と位置づけることができます。それは、神が預言者をとおして人間に約束された「聖なる救いのご計画」がイエス・キリストの降誕によって実現したと言うことです。
 救い主の誕生は旧約聖書においてすでに預言されていました。(イザヤ9章6-7節) 
さらに驚くべきことに、エペソ1章8〜10節を見ると、このことは天地万物の創造以前から神のご計画の中にあったということが分かります。実に、神の遠大なご計画は人間の考えが及ばないところにあり、しかも、それは確実に実現されるものなのです。
今朝は、イザヤ書をとおして「神の約束は実現する」ことを学びましょう。

本 論:
(1)人間世界はいつの時代も「罪と死と闇の力」が支配している 。(9:1)
「今の私たちは幸せそうだけど、常に何かに怯えている」と、ある方が言われました。先週も触れましたが、この世界は、戦争やテロや争い、飢餓や貧困、災害や病気などが頻繁に繰り返され、「暗闇」を感じさせます。また、私たちの内面の孤独や不安、時には絶望感はますます私たちを「罪と死と闇」のまっただ中に陥れています。イザヤの時代も「闇と死の力」は現代と同様に働いていました。

(2)メシアとして生まれたお方の姿 (9:5)
 歴史の悲惨、人生の労苦や悩みから人々を解放するメシアの姿は「その名」によって示されています。それは以下の通りです。
@驚くべき指導者(不思議な助言者)―計画とその目的を貫かれるお方
A力ある神(大能の神)―「力ある神」とは神の属性で、敗北することのない大勇士を指しています。
B永遠の父 ―愛と配慮に満ちた永遠に変わらない神。
C平和の君―健全で欠けたところのない神。

(3)誰がこの聖なるご計画を成し遂げられるのか? (9:6)
「万軍の主の熱意」がこれを成し遂げる。これは「悪を憎み、義を行う熱心」のことで、万軍の主の熱意は、私たちに対する神の熱情であり、神の燃える愛(パトス)であります。
まとめ:
クリスマスの約束は予想を超えた深みと神の聖なる力によって成就したのです。
 神の約束はいつも真実です。(サムエルU22:31 詩編18:31)



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