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2004/05/16(日) 「優しい心」ヨハネ8:1〜11信徒礼拝説教(畑中康雄勧士)
●今日の聖書では「姦淫の現場で1人の女性が捕らえられ」ます。
そしてパリサイ人たちはイエスに向かってこの女をどのようにしたら良いかと質問します。この問いには「主イエスを訴える口実を得るため」にと言う別の意図がありました。

●ここでイエスは不思議な事をなさいます。「イエスはかがみ込み、指で地面に向かって何か書き始められた」のです。何を書いておられたのかは聖書には書かれてはいません。「何故イエスはその様な事をされた」のでしょうか。人々が姦淫の女を捕まえて、罪に陥れるため、またイエスをも訴え出る口実を得るために主イエスにこのように言って詰め寄るその姿にイエスは人間の深い罪を見ておられたからです。その姿は「人間の罪に背を向けておられた姿」ではないでしようか。

●このイエスの姿を見ても罪の意識を感じ取る事が出来ない民衆は「しつこく問い続け」ます。そこでイエスは身を起こして「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と言われました。人々はハットした事でしょう。さあ、どうするとイエスに責めよっていた民衆はこのイエスの言葉で自分たちも罪人であると言う事に気づいたのでしょうか。年長者から始まって、1人また1人と立ち去ったとあります。

●人の過ちを赦さず、その罪に腹立たしさを覚え、怒りの感情をもって発する言葉は人を赦し、人を生かす言葉とは成り得ません。人の弱さを知り、過ちを犯した時の辛さ、痛みを知る者の言葉が相手の心に届き、人を生かし立ち直らせる言葉となるとイエスは教えておられるのです。

●さて、パリサイ人たちは立ち去りイエスとその女だけが残されます。女はここでイエスを罪を犯したことのないお方と知り「主よ」と言います。今、ここにいるのは罪を犯した私とそれを裁く事の出来る主・イエスと2人だけしかいないと言う事をこの女は告白しているのです。

●「イエスが身をかがめて何かを地面に書いておられた」と言う聖書のこの場面では姦淫の罪を犯した女が群衆の前に引き出されています。沢山の人々の冷たい目がこの女に注がれています。その時にイエスはかがみ込んで地面に何か書き始められたのです。人々はこれを見て「イエスは何をされるのか」と女からイエスへとその目は一斉に向かいます。この女に向けられていた厳しい、目がイエスに向けられます。女へ向けられていた裁きの視線をイエスが引き受けてくださったのです。イエスは誰よりも低く身をかがめて、一番低くなって罪を引き受けてくださるお方なのです。このようにしてこの女の罪をイエスは引き受けてくださいました。このように人の悩みを知り、その心の中を癒す事の出来る優しい心を私たちも持ちたいと思います。
(尚、聖書のみ言葉は新共同約聖書から引用しております。)


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