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2004/05/02(日)
「手のひらに刻まれて」イザヤ四九:14〜16(大嶋牧師)
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●今日のみ言葉の中心は16節の「見よ、わたしはあなたを、わたしの手のひらに刻みつける。あなたの城壁は常にわたしの前にある。」にあります。20世紀から21世紀に引き継がれた良きものに「科学の発達」「医学の進歩」「教育の向上」そして「物質的な豊かさ」があります。しかし、これらの背後に様様な問題も生じました。私たちの多くには「憂い」があります。「強い者は生き残り、弱い者は強い者に吸収されてしまう」と言う「存在不安」です。そんな中にあって今日のみ言葉は存在の確かさを示しています。
●「手のひらにあなたの名前を刻むと言う事には次のような意味があります。
@まず第一には、神が私の創始者(命の始まりであり、私を完成させてくださるお方)であるという事を意味します。
A第二には、神はあなたを決して見放されないお方であるという事を意味します。
B第三には、神はあなたを業や持っている物でその値うちを計られるお方ではなくて、あなたの存在そのものをそのまま認めて受け入れてくださるお方であるという事を意味します。
C第四には、神はあなたを生涯の終わりの日まで最善を尽くして持ち運んでくださるお方であるという事〜神様のみ手の中であなたを持ち運んでくださるという事を意味します。
Dそした第五の意味として、神はあなたの必要としている事をご存知で常に配慮してくださるお方であるという事を意味します。自分があくせくして、悪戦苦闘しているその背後で神様は私たちの必要としているものを既に備えていてくださるのです。
●私たちはマザ−テレサも言われているように生まれてくる前から神様に覚えられ、祝され、そして備えられていて愛されている存在なのです。この事を覚えて神に感謝したいと思います。 (尚、聖書のみ言葉は新共同約聖書から引用しております。)
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