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2004/06/27(日) 「聖なる神、熱情の神」(聖書)ヨシュア記24:14〜22(大嶋博道牧師)

序 論:
 今日の聖書の箇所は、ヨシュアが晩年を迎え、死を前にして、イスラエルの民に語った説教の一部です。
ヨシュアは、モーセの後継者として、イスラエルの民を導き、ヨルダン川を渡り、カナンの地で立派に戦い抜きました。そして、晩年に、その神様への感謝と献身をこの説教の中で語っています。
 
 ここのキーワードは「主に仕える」ということですが、まず、ヨシュアが誓った「仕えるべき主」とは誰なのかを明らかにしておきます。
@先祖を選び出された主なる神(創世記12:1〜4)
A出エジプトから救い出して下さった主なる神(出エジプト20:2)
B呪いを祝福に変えて下さった主なる神(民数記24:1〜)
C勝利を与えて下さった主なる神(ヨシュア記1:5)
 
 もう一つ、「仕える」とはどういうことを意味するのでしょうか。英語では〔Serve〕という言葉が使われています。
これは、「仕える」「奉仕する」のほかに「役立つ」「報いる」と訳せます。さらにもっと深い意味において「礼拝する」という意味があります。

本 論:
 このヨシュアの説教から、3つのことをお話をさせていただきたいと思います。
(1)一方的な恵みによって与えられた「仕える家族」
 ヨシュアは、「わたしとわたしの家とは主に仕えます。」と言っています。これは、自分の家族のことを指しています。
家族というのは、本当にかけがえのない大切な人たちです。誰よりも自分のことを知っていて、愛してくれ、ありのままでいられるのが家族です。そのような家族を神様が一方的な恵みによって与えて下さったのです。

(2)「主に仕える家族」が除き去らなければならないこと
 ヨシュアは、このように一方的に与えられた神様の恵みを数えた上で、イスラエルの民に決断を迫ります。(14〜15節参照)ここには3つの偶像のことが書かれています。
 私達にも偶像礼拝の誘惑がしばしばあります。また、偶像というのは、唯一の神様より大切にされる全ての物を言うのです。
私達を神様から引き離そうとする全てのものを指しています。ヨシュアは、そのような偶像を除き去るようにと迫っています。「除き去る」という言葉は「しりぞける」「切り落とす」「断つ」などという意味があります。つまり、はっきりと分離して、捨て去ってしまうということです。主に心から仕えるためには、何よりも「偶像」から聖別されたいものです。

(3)「主に仕える家族」の主体的な献身
 ヨシュアは24:15を読む限り、決してイスラエルの民に信仰の強制をしませんでした。
民に自由な選択の機会を与えながら「ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」と言っているのです。
ヨシュアは自分の決断で、主に仕えることを選び取ったのです。
 この時に、ヨシュアはもう、100才になろうとしていました。普通だったら、平穏な隠居生活を望むところですが、ヨシュアは、最後まで神様に従い、仕える道を選び取ったのです。(ヨシュア記13:1参照)

まとめ:
 今日、家庭の崩壊や解体があちこちに見られます。家族を受け入れる家庭が崩れると、家族はバラバラになるのは当然でしょう。このような危機的状況の中で、家族がもう一度健全に回復するために大切なことは、聖なる神、熱情の神である主に心から仕えることではないでしょうか。「わたしとわたしの家は主に仕えます」と告白したヨシュアのように!
 キリスト者−それはただひたすら「唯一の主」に心から仕える者たちのことです!そこに真の祝福があり、家族の大切な絆が形作られるのです。


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