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2004/07/04(日)
「神を畏れる生涯」(聖書)創世記22:9〜19 大嶋牧師
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序 論: 今日のメッセ−ジの中心となるみ言は12節です。アブラハムの生涯をとおして「神を畏れる生活」とはどのような生活なのかを考えてみたいと思います。 アブラハムの信仰のすばらしさを表すみ言葉が12章と22章にあります。それは、「神の命令に忠実に従った生き方」であり、また、その反対に、「ためらいながら」「自己中心的」に生きたアブラハムの生き方が13章〜21章に記録されています。 信仰の父と言われたアブラハムも悩んだり、迷ったり、失敗した人生を送ったのです。
本 論: では「神を畏れる生活」とはどのような生活なのでしょうか。 (1)その第一は「神様に従い続ける生活」です。22章2節では神様はアブラハムに厳しい命令を下さいます。アブラハムが年老いてから与えられた可愛い、大切な子どもイサクを神に捧げなさいと言う命令です。この残酷とも思える命令にアブラハムは従います。 「神を畏れる生活」とはこのような忠実に従う生活を言います。
(2)その第二は「神に対する素直な生活」です。「素直」とは、神に対して「心の耳が開かれている」事を言います。アブラハムは神のためならば自分の持っているもの全てを、それを失ってしまえば自分の存在が無くなってしまうようなものさえも神様に差し出す事が出来る信仰を持っていました。 ある人は素直」とは「教えられやすい開かれた心」と言いましたが、まさに彼はそのような素直な心を神に対して抱いていたのです。神を畏れる姿です。 (3)「神を畏れる生活」の第三の事は「神に委ねる生活」です。神の言葉に従ったアブラハムに対して、神様は「あなたが神を畏れる者であることが今、わかった」と言っておられます。中途半端に委ねるのではなくて、自分の全存在を神様に託したのです。
まとめ: 22:13でアブラハムは目を凝らして周囲を見回すことによって、神が備えて下さっていた一匹の雄羊を見ることができました。22:14で、彼はさらに目を天に向けることによって、神が自分を見ておられることに気づきました。彼は神を見ることができたのです。ここにもアブラハムのすばらしいい体験が記されています。 私たちも自分の回りだけでなく、信仰によって天(神)を仰ぎ見たいものです。それが神を畏れる生活なのです。皆さんの上に神の豊かな祝福をお祈り致します。
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