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2004/08/22(日)
信徒礼拝「心を動かされた言葉」 (聖書)コリントU15:1〜11西脇衛士勧士
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●パウロを動かした神の言葉 人は神に語られて成長すると言います。アブラハムもモーセもペテロも神に語られ、その使命を全うしました。 今日のテキストを書いたパウロも同じ体験を三度も記しています。(使9:22・26参照) パウロは肉体的な弱さを持ちながらも多くの艱難に遭遇しましたが、あらゆる艱難を神の恵みと捉え、その恵みは一つとして無駄にならず、「その恵みによって今日の私があるのです」と証しています。その原点はダマスコ途上でのキリストとの出会いであり語りかけであった。 「サウロ サウロなぜ私を迫害するのか、とげのついた棒を蹴るとひどい目にあう」パウロはこの言葉によって、イエスこそ真のメシヤ(キリスト)であると悟らされ、生涯をキリストに献げて伝道した。 そのパウロが真に伝えたいこととしてキリストが私たちのために死んだこと、葬られたこと、三日目に復活したこと・・・」でありこれは福音の原点であります。私たちも人生の転機となったことばがあると思います。 ●私の信仰生活に転機となった言葉 私の信仰生活において転機となった言葉を通して証しさせていただきます。 @「いつでも、どこでも、どんなときにも神様はそばにおられる」CS礼拝にて幼い頃教会学校の先生によって聖書の神を教えられた。 A「子供は必ず大人になるとは限らない」 CS教師研修会でCS伝道の重要性と緊急性を教えられた。 B「あなたが子供に見せる視聴覚教材である」 神学校聴講時にてCS教師の生活姿勢を教えられた。 C「あなたはあなたの家庭に遣わされているのです」 信徒学校特別講座で家庭に対する立場と使命を教えられた。 D「バカになりなさい(己に死になさい)」 ある聖会にて相手を自分より優れたものとする、仕えるものとしての秘訣である。 E「あなたはわたしを愛するか」 1974年度聖会にてクリスチャンホームに育ち、教会生活を、さんび歌を、聖書をそれなりに、また神様に愛されていることも知っていたが、神様を愛することを知らなかった。信仰とは神を愛することである。愛は一方通行ではなく交わりを求めます。神を愛することによって初めて神の愛を知るのです。 ●まとめ: 神は聖書を通してメッセージを通して時には人を通して語られ、聞く者に新しい転機を与えられます。 神はこんなとるに足りない者にも語りかけて下さったのは神の恵み以外何ものでもありません。今朝、私もパウロと同じように「神の恵みによって今日のわたしがあるのです」とあかししたいと思います。
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