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2004/09/12(日) 「レプタ2枚の献げ物」 (聖書)マルコ12:38〜44大嶋博道牧師
はじめに:
私たちが神様にささげる「献金」は信仰の本質にかかわるものです。それは、「神への感謝と献身の見えるしるし」 だからです。言い換えれば、主イエスキリストにおいて成就した「神様の聖なる救いのみ業」に対する私たちの真実な「応答」を意味するからです。今朝は次の5つのことを学びましょう。
本 論:
(1)「献げもの」の始まり(創世記4:1〜5)
 旧約聖書に登場する人物で、最初に神に献げ物をしたのはカインとアベルの二人です。
兄カインは土の実りを、弟アベルは羊の群れの中から肥えた初子を神にささげました。おそらく「神への感謝」のしるしとしてこのような献げ物をしたのでしょう。
 アブラハムとそれに続く族長たちもしばしば宗教的祭儀として祭壇を築き、神に「犠牲」を献げました。彼らは祭壇に雄牛や羊や山羊、時には鳥や野菜などを携えてきて、犠牲として献げました。

(2)献げ物の基準について―どれだけ献げたら良いのか?
 古代人の間では、その年の収穫期には農産物や家畜の最も上等なもの、さらに戦利品などの十分の一を神に献げる習慣がすでにありました。アブラハムは、戦いに勝利した時、メルキゼデクにすべてのものの「十分の一」を贈りました。(創世記14:20)
申命記には、毎年その年の農産物の収穫の十分の一を牛や羊の初子と共に神の前に携えてきたり、さらに十分の一をレビ人、寄留の外国人、孤児や寡婦などの貧しい人々のために与える習慣があったようです。
 ご存じのように、「十分の一」の根拠としてよく引用されるのがマラキ書3:10です。「十分の一」の規定は律法の公平な基準で、無理のない献げ物であったようです。

(3)信仰生活における「献金の意味」について
 私たちが信仰生活の中で神に献げる献金の深い意味は@神への献身のしるしであり A神への全存在からの信頼の証しであり B神への感謝や賛美の具体的なしるしであります。「献身」と「信頼」と「感謝」―ここに献げ物の本質的な意味が存在するのです。

(4)「献金」をささげる心のあり方―どんな気持ちで献げたら良いのか?
 今朝の聖書の箇所は、私たちの「献金」をささげる心のあり方を、はっきり示しています。
主イエス様は、当時の最小貨幣である「レプタ二枚」しか献げられなかった 貧しい女性を称賛し「この貧しいやもめは、賽銭箱に入れる人の中で、だれよりもたくさん入れた」と言われました。この意味は最後に触れます。
コリント二9:6〜8でパウロはキリスト者にこう勧めています。
@惜しむ心からではなく―悲しむ、心配する、苦痛を感じる。
A強いられてでもなく―強制、無理をさせられる。「そうせずにはおれない−自発的」
B心で決めたとおり―自分で選ぶ、決心する。
パウロの勧めを聞いていると結局、献金は「信仰」がなければ決して出来ないということです。
最初にお伝えしましたように、献金は信仰の本質に関わっているということですね。

(5)“レプタ二枚”に託した貧しい女性の信仰
貧しいやもめが献げたレプタ2枚はサイズが一円玉位で、薄くて軽く、今日では数十円にも満たない当時の最も小さな銅貨でした。しかし、イエス様は弟子達に「この貧しいやもめは誰よりもたくさん献げた」と言われた。
なぜでしょうか?それは彼女が生活費の「100パーセント」を献げたからです。
100%の生活費=それは彼女の今日と明日を支えるもの、すなわち「いのちそのもの」です。それを献げたということは、彼女は全存在を主なる神に委ねたということなのです。
まとめ:
 今朝のメッセージのまとめをします!
@私たちが今所有しているもの―お金やモノ、財産、健康、能力、時間、すなわち「いのち」はすべて神からの贈り物であり、神に所属しています。私たちのものは実は何一つないのです。生きるために神様から必要なものだけ預かっているだけです。
A神様は私たちの必要をすべてご存じで備えておられる。「アドナイ・イルエ」
B天の窓を開いて、恵んでくださるお方ですから、「献げもの」をもって、神を試みる ことが出来るのです。
C私たちを根底から支えておられる神に全存在を委ねて歩みたい。
 十分の一を喜びと感謝と信頼をもって献げる時に、神はさらに豊かに祝福してくださいます。


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