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2005/01/30(日) 「人生の応援歌」 ヨハネ16:29〜33 西脇衛士勧士
信徒礼拝

はじめに:
阪神大震災から10周年が経過しました。
6433名の貴いいのちが犠牲になり、多くの建物が倒壊したり
消失しました。私の家も事務所も被害を受けました。そのような中で多くの方々の支援や励ましによって勇気を与えられました。今朝は私にとっては「震災メモリアル」の意味を込めてメッセージをお伝えします。

本 論:
聖書の中には私たちを励まし、元気を与える主イエス様のお言葉が記されています。それを幾つか開いて見ておきましょう。

(1)マタイ9:22「娘よ、元気になりなさい。・・・・」
12年もの長い間、出血が止まらず、多くの医者にかかっても病気が治らなかった女性に主イエスは声をかけられました。この「元気を出しなさい」は英語で「Be of good cheer」と言います。この励ましの言葉によって、この女性は病気が癒され、元気を取り戻すことが出来たのです。
 
(2)マタイ14:22〜32「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
湖の上で逆風にあってこぎ悩んでいる弟子たちに向かって主イエスが言われたお言葉です。これも英語で「Be of good cheer」と言います。
弟子たちは主イエスのお言葉に勇気づけられました。主イエスが舟に乗り込むと風は静まったのです。

(3)ヨハネ16:33「・・・しかし勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
この箇所は、主イエスさまが十字架におかかりになってこの世をさられる直前の「告別説教」と言われています。私たちには様々な困難や試練が襲ってきて、生きることを妨げます。しかし、どんな苦しみであっても、「大丈夫だ、心配するな、勇気を出しなさい。私は十字架にかかって死ぬが、必ず復活する」と、主イエス様が私たちに語っておられるのですから、この復活の主に信頼し、そのお言葉に励まされて立ち上がりたいと思います。ここでも「Be of good cheer」が用いられています。
英語では Take courageとかTake heartとも言います。いずれも「元気を出せ」とか
「勇気を持ちなさい」という励ましの言葉です。

それはまさに「人生の応援歌」のようなものです。
私たちが困難に直面して苦しむ時、不安に陥るときに、聖霊なる神様は「慰め主」として私たちのそば近くに共におられます。聖霊は助け主、慰め主なのです。
私たちの心の内面に宿ってくださるので、勇気づけられるのです。

まとめ:
「cheer 」は助け出すとか声援するという意味があります。そこから「cheer girl 」が生まれました。これは劣性の時に味方を応援する人たちのことです。
私たちが人生において劣性になった時、神は私たちの不動の岩、砦の搭、そして、真の避けどころです。(詩編46:1)
このお方を信じて、励まされて、元気を与えられ、勇気を出して人生を歩みたいものです。

2005/01/23(日) 「よくなりたいなら」 ヨハネ5:1〜9大嶋博道牧師
 フレンズサンデー礼拝

序 論:
主イエス様は「ベトザタ(ベテスダ)」と呼ばれる場所にいきました。ベトザタとは「あわれみの家」という意味です。そこには、たくさんの病気を背負った人がいました。
聖書は、四種類の病んでいる人がいたということを伝えています。
@第一は、大勢の病人です。―弱った人、気力の萎えた人
A第二は、目の見えない人(盲人)でした。―真理を理解出来ない人
B第三は、足の不自由な人です。―自立出来ない人
C第四は、やせ衰えた人です。 ―絶望の中で生きる体力・気力を失った人
 
 これらの病人は、当時の言い伝え(迷信)や超能力への期待を抱いて激しい「飛び込み競争」を繰り広げていました。それは表面的な形はちがっても、私たちのよく見かける現代の光景と似ています。
 
 主イエスは、最も助けを必要としながら、誰も助ける人のいない一人の男に目を注がれました。彼は38年も病気に苦しんでいた人でした。
 主イエスはこの男に「良くなりたいか」と声をかけられました。質問は唐突で得あり的はずれのように思われますが、実は最も核心をつくものでした。それは、彼が絶望への安住や弱さへの居直りの中にいたからです。

主イエスは、この対話を通して、彼の病いの現実を一層はっきりと浮かび上がらせなさいました。
その上で、彼の絶望の壁に穴をあけるように、「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」と言われました。

本 論:
 私たちは今年一年、健康で幸せな生活をしたいと願っています。もっともっと祝福されたいと願っています。私たちがよくなるために、ヨハネ5:9から二つの大切な命令を聞きましょう。

(1)信仰をもって起きあがること
 この「起き上がる」という言葉には、重要な意味があります。父なる神が御子を死者の中から立ち上がらせられた出来事、すなわち「復活」をあらわす言葉です。主イエスはご自身の十字架と復活を指さしながら、私の与える命によって生きよ、と命じられたのです。

(2)自分の床を担いで歩くこと
 さらに、「床を担いで歩きなさい」と言われます。これまでの汗と涙が染みついたマットです。
それを担いで歩けとは、彼が38年間の苦しみの現実をしっかりと受けとめながら、今やそのような自分が主イエスのみ言葉によって生きる者とされたことを、証しするためでした。

私たちの信仰生活とは自分を縛り付けている困難や苦しみの現実からの逃避ではなく、むしろ、この重い現実を逆に担って生きることなのです。
仕事、家庭生活、立ちはだかる諸問題、人間関係、自らの健康など、自分を押しつぶすような現実を大胆に担って歩くこと―これこそ本当の生きた信仰生活なのです!

まとめ:
 イエス様の言葉を聞くだけで終わるなら、何も始まりません。その言葉に従って一歩踏み出すことが大切なのです。さあ、今年も起きあがり、自らの人生をしっかり引き受けて歩みましょう。
疲れた時、弱った時は主ご自身をあなたを背負って下さいますから。

2005/01/16(日) 「主の驚くべきみ業を覚えて」(詩編111:3〜4)大嶋博道牧師
 まず、この教会標語が与えられた理由を述べます。
今年2005年は私たちの教会が一つの「節目」を迎えます。伝道所が設立されて20年目、新会堂が献堂されて10年目になります。私たちの教団も「新教団設立20年」の歴史を刻みました。教会や教団の節目だけでなく、本質的には、聖書はキリスト者の信仰生活そのものが「主の驚くべきみ業」を心に刻むことによって成り立っていることを教えているからであります。

序 論:
主の驚くべきみ業とはいったい何でしょうか?
(1)歴史における神のなされた聖なる、偉大な行為です。
 それは、旧約においてはイスラエルの民の出エジプトの出来事やバビロン補囚からの解放に現された神の聖なる救いのみ業。
新約におけるイエス・キリストの十字架の贖いの死と復活によって現された神の救いのみ業。

(2)自然界における神の創造のみ業
天地創造において、紅海の奇跡において、荒れ野の40年の導きにおいて。   
 先日、第10回阪神大震災メモリアル集会が神戸国際会館で催された。なぜ、「神戸が揺さぶられたのか。」これは被災された多くの方々の問いであります。
 また昨年末にはスマトラ沖で大地震が発生。インド洋大津波によって17万人を超える人々が犠牲になりました。「なぜ、スマトラ?」これも同様の問いであります。
 しかし、未だにその答えは見いだせません。確かなことは神はそれでも歴史を支配しておられ、自然を治めておられるということです。

(3)私たちの日常生活においてなされる神の配慮のみ業 
 仕事、学び、家庭生活、子育て、社会生活、趣味、旅行、健康などあらゆる生活の場面で神様のご配慮を見ることができます。神様は最善をなして下さいます。そこに驚くべきみ業が存在するのです。

まとめ:
 今年一年、「驚くべきみ業」を心に刻みながら歩みましょう。一年を終わって、あなたはどれだけ神様の驚くべきみ業に与ることが出来るでしょうか?
 なお、本論の「驚くべきみ業とどう向き合って生きるか」については次回に学びます。

2005/01/09(日) 「その場所をベテルとせよ」 創世記28:10〜22 大嶋牧師
 新成人祝福礼拝
 
 今朝のテキストの小見出しには「ヤコブの夢」と記されていますが、正確にはベテルにおける「神の臨在体験」と言った方がいいでしょう。
 ご存知のように、双子で生まれた兄エサウと弟ヤコブの「家督相続」は、ドラマになるほどのし烈を極めたものです。当時、長男は「後継ぎ」に際して、二つの特権がありました。

@長男の祝福(父親に手をおいてもらい祝福を受ける)
A父の財産分与における優遇(3分の2)
 
 イサクとリベカの家庭に亀裂が生じたのはおそらく創世記25:27〜28に基づく推測では、父イサクは狩りの獲物(しかの肉)が好物だったので長男のエサウを寵愛し、母リベカは内向的で穏やかなヤコブを偏愛したようです。
 
 ヤコブは、母親と結託して長男の特権をエサウから奪い取り、その結果、殺意の伴う敵意をエサウの心に引き起こさせ、ヤコブは遠く離れた親戚のところへ逃避せざるをえなくなります。
 ヤコブはベエルシバを出発して125キロほど離れたハランに向かう途中で、おそらく荒野のまっただ中で日が暮れたのでしょう。彼はそこで孤独と不安の中で野宿することになります。
その場所にあった石(人間の頭ほどの大きさ)をとって枕とし、寝てしまいます。

 かれはその夜、神秘的な夢を見ます。(28:12)
この夢の中でアブラハムの神、イサクの神がヤコブに語りかけられたことは、

@今、横たわっている土地をあなたとあなたの子孫とに与える、と約束。
A子孫は大地の砂のように多くなり、拡がっていくと約束。
B神の「共在」(ともにいる)、インマヌエルの約束。
 眠りから覚めたヤコブは、次のような行動を起こしました。

(1)この霊的体験の場所に枕としていた石を立てて「記念碑」とした。さらに、先端に油を注いだ。(約束や誓いが神聖なものであることの証し)彼の神との出会いの真実さを確信し、その信仰を具体的な形で表した。

(2)この場所に新しい名前をつけることによって、霊的体験を心に刻んだ。

(3)あと一つは、「誓願」であります。「献身」と言ってもいいでしょう。
 
 28:20〜22は夢の中の宗教的体験から、ヤコブは
@神の臨在を体験し
A孤独な旅路と慣れない地での生活の保護を確信し
B無事に故郷に帰ることを確信し その結果、その場所をベテル

(神の家)と呼んで記念碑を立てました。この物語から、私たちが信仰生活を続けていく中で、学ぶべき事が一つあります。それは、普段の生活の場を「ベテル(神の臨在の場)」とする信仰。荒れ野において孤独と不安の中で一晩の眠りのために用いた「石の枕」を地面に立てて記念碑としたというのは、何も特別な時間をさいて、特別な場所で、特別なことをしたのではなくて、普段の生活の場を「ベテル」(神の家)としたのです。

皆さんの家庭の台所が、居間が、書斎が、寝室が「ベテル」となるように、すなわち、聖なる場所として「記念碑」を立てて、臨在信仰に固く立っていただきたい。
祝福を心よりお祈り致します。

2005/01/02(日) 「行く先々で栄え、成功する」(ヨシュア記1:1〜9)大嶋博道牧師
新年礼拝説教
 新年を心からお祝い申し上げます。
2005年を始めるにあたり、聖書の力強いみ言葉を聴きましょう。

●今日のみ言の中心は8節の「…そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。
そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。」です。ヨシュアはモ−セといつも行動を共にしていました。「ヨシュア」とは「主は救い」と言う意味です。今日はこの聖書から人が祝福されるパターン(手順)を学びます。

●先ず神から次の約束があります(5節)
 @一生の間あなたの行く手に立ちはだかる者はいない。
 Aわたしはモ−セと共にいたように、あなたと共にいる。
 Bあなたを見放すことも、見捨てることもない。

●これに続いて神の命令があります(7節)
 @強く、大いに雄々しくあれ。(勇敢で力強くあれ)
 Aわたしの僕モ−セが命じた律法を(十戒を)すべて忠実に守れ。
 Bその神の命令から右にも左にもそれてはならない。(聖書から目を離さない)
 神の約束に信頼してその命令を守るならば、「あなたは、その行く先々で栄え、成功する」(8節)と言うのです。
これは「あなたは一年の間、あらゆることにおいて繁栄を見、また勝利を味わう」という神の私たちへの保証です。

●私たちにはこの1年間にさまざまな事が起こるでしょう。私たちはその事によって倒れる事なく、立ち上がる土台を今日のこの礼拝のみ言葉から学んで欲しいのです。
この土台となるみ言葉が今日の聖書の個所にあります。そしてみなさんは、今年1年間、神のみ言葉に聞き入って欲しいのです。そうすれば必ず道は開かれます。

ジョン・ウエスレーが「恵みの手段を得る方法」で述べているように
@先ず、祈ってください。神に近づく最善の方法です。
Aそして、み言葉を探求してください。どんな時にも聖書のみ言葉に傾聴してください。その事をこの1年間続けて欲しいと思います。

●神は言っておられます。「うろたえてはならない。あなたがたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」(9節)と。
皆さんの上に神の豊かな祝福をお祈り致します。


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