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2005/10/30(日) 「イエスの言葉を信じて」畑中康雄勧士
信徒礼拝 (聖書)ヨハネ4:46〜54

●今日の聖書によると「1人の人が死にそうになった息子の病気を癒してもらうために、イエスに会いに40qほどの道のりを旅しました。当時としては歩いて10時間以上もかかった事でしょう。そして「息子を癒してください」と「願った」のす。イエスは「帰りなさい。あなたの息子は生きる」と言われ、この役人は「イエスの言葉を信じて」帰ったとあります。

●この役人が次の2つの事を確信していた事を聖書から読み取れます。「その1つ」は「これは特別なお願いである」と確信していた事です。そして、「その第2の事」は「キリストが必ずその必要に応えてくださる」と信じていたと言う事です。
私たちの多くは知識の上では神様の存在を知ってはいますがその神様が私たちの生活の一つ一つにかかわってくださり必要を満たしてくださる方であるとは本心、信じているでしょうか。祈りが応えられるために必要な事は、ただ信仰的な言葉を繰り返して祈っていると言う事ではなくて「神は全ての祈りを聴き、全ての祈りに応えてくださる」と言う信仰に立った祈りが必要なのです。

●この役人は「自分の家に来て癒してください」と願いました。この点がキリスト教信仰の基本に拘わっている問題点の一つです。イエス・キリストに救われるためにはイエスご自身がその場にいてくださる事は条件では無いのです。私たちは聖書物語に出てくるイエス様のなさった事は信じる事が出来るでしょう。しかし「もし今、同じ事があなたの身の上に起こったならそうなると信じますか」と尋ねたら「?」の人がかなり多いのではないでしょうか。しかしまた、このように尋ねてみたらどうでしょうか。「今、イエス様が現実にこの世界に生きて在されておられたら聖書に書かれていると同じ奇蹟が起こると思いますか」と。その時には多くの方が「そのようになる」と答えられるのではないでしょうか。

●キリスト教の信仰は「臨在」の信仰です。イエス様は現代にも生きていてくださり私たちを救ってくださると言うのがキリスト臨在の信仰なのです。どこかのお墓におられるのではありません。その墓は空っぽとなり私たちの近くで生きて働いていてくださるのです。この物語を通して私は100lイエス様に人生をおゆだねしていなかった事を懺悔します。
私たちが祈る祈りは必ず聴かれます。私たちが神様のみ心が成るようにと信仰を持って祈る時に、神様は私たちの側近くにいて下さり、み心にそって最善をなして下さるのです。イエス様の言葉を信じて祈りましょう。

2005/10/23(日) 「神に喜ばれる生活」 説教 大嶋武郎先生
特別礼拝 説教 大嶋武郎先生(聖書)ヘブライ11:13〜16

序 論:
ヘブライ人への手紙11:13〜16をとおして「神に喜ばれる生活」とはどのようなものかを考えてみましょう。
11:13に「この人たち」という言葉が出てきます。これは信仰の父アブラハムやイサク、ヤコブを指します。彼らは私たちから見れば、信仰の先輩であり勇者たちであります。彼らはやがて来るべき神の国、未来に実現する救いを待ち望みつつ信仰を抱いて死にました。(これはイエス・キリストの到来によって成就しました。)
彼らは未来に実現する神の約束を信じ、日々喜びに満たされていました。さらに、彼らは自分たちが地上ではよそ者であり仮住まいの者であることを公に告白し、やがて消えてしまう地上にしがみつくことなく、永遠の住まいに目を向けて生活しました。信仰の父アブラハムとその家族は住み慣れた故郷を離れ、神が示す地に向かって旅立ちました。それは彼らがさらにまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたからです。神は彼らのために都を準備されていたのです。

本 論:
神に喜ばれる生活、すなわち神のみ心に沿った歩みとはどのようなものでしょうか。

(1)この地上では旅人(仮住まいの者)であることを公にすること
 すべての人はこの世を去っていきます。それは地上での私たちの生活は一時的であることのしるしであります。ですから、私たちはこの地上での生活が永遠に続くかのように振る舞ってはいけないのです。試練や困難や苦しみも一時的です。そのことを心に留めて生きる時に信仰によって未来に希望を抱くことができるのです。

(2)天の故郷を熱望して生きること
 私たちの国籍は天にあります。このことは、私たちは神に属する信仰者であるということを意味します。信仰生活は地上で最善を尽くして生きると共に、天の故郷を熱望して生きることであります。

(3)地上での試練は「信仰の成長の時」であることを確信すること。
地上では様々な試練や苦しみがあります。イエス様は「あなたがたには世で苦難がある」と言われました。(ヨハネ16:33) しかし、私たちの試練や困難や苦しみは神のみ手の中で、神の聖なるご計画の中で起こることなのです。ですから、すべてには意味が
あり、脱出の道も備えられているのです。また、成長の機会ともなるのです。
試練をとおして、やがて「主イエスの姿」に似る者とされていくのです。

まとめ:
 信仰の先輩に倣い、私たちはこの地上では寄留者、旅人であることを公に言い表し、一瞬に過ぎてしまうこの地上の生活にしがみつくことなく、永遠の住まいを待望しながら信仰生活に励みたいものです。また、私たちが受けた救いを人々に伝えたいもの
です。このような生活こそ神に喜ばれるものなのです。

2005/10/16(日) 「死に至るまで忠実であれ」 大嶋博道牧師
聖日礼拝 (聖書)ヨハネ黙示録2:8〜11 

はじめに:
 聖書は、人生をどう生きるかということで最も大事なことは、有名なタラントの喩えにあるように「忠実であることだ」と教えています。

序 論: 
 さて、黙示録のきょうの個所には、「死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう」とあります。これが今朝のメッセージの中心です。
スミルナの教会が直面している問題と課題スミルナは、エフェソから北へ約70kmの海沿いにあり、エフェソと同じように良い港があって繁栄した町であります。ローマとの往来も盛んで、ローマの女神を祀る神殿や皇帝礼拝のための神殿もここに造られていました。70年にエルサレムが陥落した後、沢山のユダヤ人が逃れて来てこの町に住みついたのです。
この教会には3つの問題がありました。
@苦難(スプリシス)=重圧(外からの物理的な圧力)
A貧困(プトーカイア)=極度の貧困、無一物の状態
B迫害(投獄)=10日間というのはやがて終わる短い期間を意味した。

本 論:
このような危機的状態のスミルナの教会の信徒たちに、ヨハネは力強く激励しているのです。
「死に至るまで忠実であれ」
 忠実をギリシャ語でピストスと言います。信仰と訳されるピスティスと同根のことばで、「信頼」
を表すことばでもあります。
「死に至るまで忠実であれ」とは、ただ信仰者を叱咤して彼の意志の強さと努力を促しているのではなくて、初めであり終わりであるイエス・キリストへの絶対的な信頼へと向かわせることば
でもあるわけです。
キリスト者の忠実さとは、結局、復活者イエス・キリストへの信頼にほかならないのです。
(1)主イエスへの信頼(いついかなる時もこのお方にゆだねて生きる信仰)
 (2)主イエスへの真実(神の愛と恵みに背かず、裏切らない)
 (3)主イエスへの服従(信従、主のあとを追うこと)

まとめ:
 このスミルナ教会の指導者・ポリュカルポスの忠実な信仰をお伝えします。
ローマ総督は言いました。「キリストを捨てよ。キリストを捨てて、カイザルは主であると告白せよ。そうすればおまえを釈放しよう。」と。
 するとポリュカルポスはこう答えました。「86年間、わたしはキリストに仕えて来ましたが、その間、ただの一度も、キリストは私を裏切らず、常に良いことをなして下さいました。私を罪から救って下さった、私の王なるイエス・キリストをどうして汚し、捨てることなどできましょう。総督、私はクリスチャン(キリストに属する者)です。」
彼は、殉教の死を遂げました。死に至るまで忠実を貫いたのです。
私たちも信仰生活においてただひたすら忠実でありたいものです。            

2005/10/09(日) 「見守ってくださるお方」大嶋博道牧師
聖日礼拝 (聖書)詩編121:1〜8 

序 論:
●この詩篇の箇所はエレサレムの巡礼の時の賛美と祈りです。エルサレムの神殿に入る前に、自分が何故この神殿に来たのかを確かめるためにこの詩を詠んだのです。私たちは聖日に教会堂に入るに当たって何故私が会堂に入るのかを考えた事があるでしょうか。

●1節は巡礼者の、2節は祭司の言葉です。そして3節〜6節は祭司の祝祷の祈りであり、7節〜8節は祭司と巡礼者が共にした祈りです。
 詩人はまず、天に向かって祈りをささげるにあたり、「私たちの神様は一瞬たりともまどろまれる事はありません」と、告白しています。常に私たちのために生きて働いておられる神様は「見守られる」お方です。

本 論:
●「見守る」と言う言葉がここには何回も出てきます。そうです。6回も出てきます。ではどんな事を見守ってくださるのでしょうか。それは「足がよろめかないように」「災いを遠ざけ
るために」「魂」をそして「あなた自身」を見守ってくださるのです。

●「見守る」を意味するヘブル語「シャーマール」という言葉には幾つかの意味があります。
 @「保護する」という意味があります。災いから、危険から守り、保護してくださるのです。
 A「愛する」と言う意味です。私たちの人生に目を向けて、関心を持って私たちを愛してくださるのです。
 B「警護する」という意味です。体を張って私たちを命がけで守ってくださるのです。
 C「配慮する」と言う意味です。予め私たちの必要を見てくださり、必要なものを備えてくださるのです。
 D「共にいる」すなわち「臨在する」と意味です。神様は共にいてくださるお方です。昼は雲の柱となり、夜は火の柱」(出エジプト13章22節)となって私たちの先頭に立ってくださ
るお方なのです。

●神様は私たちを見守ってくださるお方である事を今一度確かめて、感謝して信仰の道を歩みたいと思います。

2005/10/02(日) 「福音のパートナー」 大嶋博道牧師
総員礼拝(聖書)フィリピ1:27〜30 

序 論:
 フィリピの手紙は獄中のパウロによって書かれたもので、パウロの宣教活動のために祈りと具体的な支援をしていたフィリピの教会の信徒に「感謝」と「幾つかの信仰的な勧め」が記されています。また、フィリピの手紙は「喜びの手紙」とも言われています。どんな境遇にあっても感謝し、「喜ぶ」ことが奨励されています。
 
 パウロは、フィリピ1:27でフィリピの信徒たちに大事なことを勧めています。「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい」―そうすればもたらされるものが3つあるというのです。
@一つの霊によってしっかり立つことが出来る(1:27)
A心を合わせて福音の信仰のために共に戦うことが出来る。(1:27)
Bどんなことがあってもたじろぐことがない。(1:28)
今朝は特にAの「心を合わせて福音のために共に戦う」ということを学びましょう。

本 論:
メッセージの中心は、私たちが「福音のパートナー」になるということです。神の聖なる働きに欠かすことのできないものの一つに、パートナーシップがあります。このパートナーシップとは、「一つの目的に向かって共に力を合わせて戦うこと」を意味します。「協力」という言葉が一番適当だと思います。
旧約のモーセとアロン、新約のパウロとバルナバの例に見るように、良きパートナーシップは、福音の前進のために必要なことなのです。
 一つの仕事を成し遂げるためには心が通じ合ったパートナーが必要です。家庭を築き上げるためにもパートナーが求められます。
 
さて、「福音のパートナー」になるために必要なことを四つお伝えしましょう。
(1)同じ目的を持つ―同じ方向を目指す
(2)心を合わせる― 一つの霊によって堅く立つ
(3)共に支え合う―互いの欠けを補い合う(犠牲を引き受ける)
(4)望みを失わない―最後まで希望を抱き続ける。

 見える形はどんなに小さくても、神さまはそこから大いなるみ業をなして下さいます。ですから、望みを失わないようにしたいものです。
聖書の神様は「無から有」を呼び起こす全能の主です。福音の前進のために牧師と信徒が互いに良きパートナーとなって戦いましょう。信徒と信徒も互いに尊重しあい、良きパートナーとして歩みましょう。

まとめ:
 私たちも神様の宣教のみ業にパートナーとして参与したいと思います。「献堂10年」を迎えた私たちの教会がさらに祝されるために、この群れに連なるお互いは「福音のパートナー」を目指しましょう。


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