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2005/10/16(日)
「死に至るまで忠実であれ」 大嶋博道牧師
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聖日礼拝 (聖書)ヨハネ黙示録2:8〜11 はじめに: 聖書は、人生をどう生きるかということで最も大事なことは、有名なタラントの喩えにあるように「忠実であることだ」と教えています。
序 論: さて、黙示録のきょうの個所には、「死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう」とあります。これが今朝のメッセージの中心です。 スミルナの教会が直面している問題と課題スミルナは、エフェソから北へ約70kmの海沿いにあり、エフェソと同じように良い港があって繁栄した町であります。ローマとの往来も盛んで、ローマの女神を祀る神殿や皇帝礼拝のための神殿もここに造られていました。70年にエルサレムが陥落した後、沢山のユダヤ人が逃れて来てこの町に住みついたのです。 この教会には3つの問題がありました。 @苦難(スプリシス)=重圧(外からの物理的な圧力) A貧困(プトーカイア)=極度の貧困、無一物の状態 B迫害(投獄)=10日間というのはやがて終わる短い期間を意味した。
本 論: このような危機的状態のスミルナの教会の信徒たちに、ヨハネは力強く激励しているのです。 「死に至るまで忠実であれ」 忠実をギリシャ語でピストスと言います。信仰と訳されるピスティスと同根のことばで、「信頼」 を表すことばでもあります。 「死に至るまで忠実であれ」とは、ただ信仰者を叱咤して彼の意志の強さと努力を促しているのではなくて、初めであり終わりであるイエス・キリストへの絶対的な信頼へと向かわせることば でもあるわけです。 キリスト者の忠実さとは、結局、復活者イエス・キリストへの信頼にほかならないのです。 (1)主イエスへの信頼(いついかなる時もこのお方にゆだねて生きる信仰) (2)主イエスへの真実(神の愛と恵みに背かず、裏切らない) (3)主イエスへの服従(信従、主のあとを追うこと)
まとめ: このスミルナ教会の指導者・ポリュカルポスの忠実な信仰をお伝えします。 ローマ総督は言いました。「キリストを捨てよ。キリストを捨てて、カイザルは主であると告白せよ。そうすればおまえを釈放しよう。」と。 するとポリュカルポスはこう答えました。「86年間、わたしはキリストに仕えて来ましたが、その間、ただの一度も、キリストは私を裏切らず、常に良いことをなして下さいました。私を罪から救って下さった、私の王なるイエス・キリストをどうして汚し、捨てることなどできましょう。総督、私はクリスチャン(キリストに属する者)です。」 彼は、殉教の死を遂げました。死に至るまで忠実を貫いたのです。 私たちも信仰生活においてただひたすら忠実でありたいものです。
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