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2005/10/09(日)
「見守ってくださるお方」大嶋博道牧師
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聖日礼拝 (聖書)詩編121:1〜8 序 論: ●この詩篇の箇所はエレサレムの巡礼の時の賛美と祈りです。エルサレムの神殿に入る前に、自分が何故この神殿に来たのかを確かめるためにこの詩を詠んだのです。私たちは聖日に教会堂に入るに当たって何故私が会堂に入るのかを考えた事があるでしょうか。
●1節は巡礼者の、2節は祭司の言葉です。そして3節〜6節は祭司の祝祷の祈りであり、7節〜8節は祭司と巡礼者が共にした祈りです。 詩人はまず、天に向かって祈りをささげるにあたり、「私たちの神様は一瞬たりともまどろまれる事はありません」と、告白しています。常に私たちのために生きて働いておられる神様は「見守られる」お方です。
本 論: ●「見守る」と言う言葉がここには何回も出てきます。そうです。6回も出てきます。ではどんな事を見守ってくださるのでしょうか。それは「足がよろめかないように」「災いを遠ざけ るために」「魂」をそして「あなた自身」を見守ってくださるのです。
●「見守る」を意味するヘブル語「シャーマール」という言葉には幾つかの意味があります。 @「保護する」という意味があります。災いから、危険から守り、保護してくださるのです。 A「愛する」と言う意味です。私たちの人生に目を向けて、関心を持って私たちを愛してくださるのです。 B「警護する」という意味です。体を張って私たちを命がけで守ってくださるのです。 C「配慮する」と言う意味です。予め私たちの必要を見てくださり、必要なものを備えてくださるのです。 D「共にいる」すなわち「臨在する」と意味です。神様は共にいてくださるお方です。昼は雲の柱となり、夜は火の柱」(出エジプト13章22節)となって私たちの先頭に立ってくださ るお方なのです。
●神様は私たちを見守ってくださるお方である事を今一度確かめて、感謝して信仰の道を歩みたいと思います。
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