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2005/12/25(日) 「さあ、ベツレヘムへ行こう」 大嶋博道牧師
クリスマス礼拝 (聖書)ルカ2:8〜20

救い主のご降誕を心よりお祝い申し上げます。
●今日のみ言葉の中心は15〜16節の「天使たちが離れ去ったとき、羊飼いたちは、さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか、と話し合った。
そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を捜し当てた。」と言うみ言葉にあります。

●マタイ2章には「占星術の学者たち」が星を見て「ユダヤ人の王としてお生まれになった主イエスを拝みに来た」とあります。そして母マリヤと共におられる幼子を見て喜び、数々の宝物を
献げて」「別な道を通って」国に帰っていったとあります。
 一方、今日の聖書の箇所では、当時、庶民の底辺に位置すると言われていた羊飼いに天使によってイエスの誕生が告げられ「飼い葉桶の中に寝かされている乳飲み子を探し当て」そしてこの羊飼いたちは「天使の話した通りだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」とあります。
 東方の学者たちも貧しい羊飼いたちも「ベツレヘム(パンの家)」に心を向け、そこに出かけて行って救い主イエスに出会いました。

●さて、2000年後の現代に生きる私たちも、彼らがかつて訪れたように「ベツレヘム」を訪れたいものです。
では、何のためにベツレヘムへ行くのでしょうか。それは次の4つのためです。

@自分の人生を成り立たせている根拠(土台)である」イエス・ キリストに出会うためがその第1の理由です。
A第2にはそのイエス・キリストに出会って礼拝するためです。 見えざる神の前にひれ伏す事が礼拝です。キリスト者は「礼拝 の民」であり、神の前に喜びをもって感謝の礼拝をささげる存 在です。そしてそれはどんな状況にある時にもそうしたいものです。
B第3の事は、自分の最高のものを献げる〜全き献身をする事で す。自分の体を生きた献げものとして差しだす事です。
Cそして第4の事は、新しい人生の歩みを始めるためです。20 節には「神をあがめ、賛美しながら帰った」とあります。イエ スに出会った時に新しい生き方が始まります。

●さあ、あなたも新しい人生を歩もうと言う決意が出来るように神様に出会いにベツレヘムに行こうではありませんか

2005/12/18(日) 「本当に豊かな生き方」大嶋博道牧師
アドベント礼拝 (聖書)コリント二 8:8〜9

●私たちの生活は本当に豊かなのでしょうか。「人生に必要な荷物、いらない荷物」と言う本がありますが私たちは自分の人生のカバンにあまりにも多くの荷物を詰め込みすぎているのではないでしょうか。
 皆さんは人生の荷物を軽くしようと考えた事がありますか。私たちはどう生きたら良いのか、心が満たされない人生を送っていたとしたらそれは本当に豊かな人生とは言えないのです。

●本当に豊かな生き方とは「主イエス・キリストの恵みによって生きる」生き方なのです。今は、アドベントの期間ですが、「クリスマスは貧しさと暗さ」の物語とも言えます。それは「マリヤが結婚前に身重になった事」「身重なマリヤが住民登録をするために120qとも言われる遠い距離を旅した事」「マリヤが泊まるための旅館がなかった事」「イエスが飼い葉桶の中で生まれら
れた事」「イエスに初めて出会ったのが身分の高い人ではなくて羊飼いであった事」これらのどこを取り上げても貧しさと暗さであり、イエスはこのようにして徹底して人に仕えるように生まれ
られたのです。

●そして私たちが恵まれているのは、今日の御言葉に「主は豊かであったのにあなたがたのために貧しくなられた」と言うみ言葉が与えられている事です。では私たちが主から与えられた豊かな生き方とはどんな生き方でしょうか。
それは次の8つの生き方です。

@持っているわずかなものを分かち合う豊かさ。
Aお互い認め合い、分かち合う、理解し合い赦し合い、支え 合う豊かさ。
B自分の不都合をありのまま受け入れる豊かさ。
C遠く離れた所にいる人に思いを馳せる豊かさ。
D相手の欠点を裁かず、愛をもってそっと覆う豊かさ。
E家族が共に集まり、温かい団欒をする豊かさ。
F最善をなしてくださる神のみ手に委ねて生きる生き方。

新しい年も、神の恵みによって、私たちのために貧しくなって下さった主イエス・キリストによって「本当に豊かな生き方」をしたいものです。祝福をお祈り致します。

2005/12/11(日) 「イエスさまが来られた理由(わけ)」西脇衛士勧士
アドベント(3)信徒礼拝 (聖書)フィリピ2章6〜11節

2000年前にイエスさまがこの世に来られた理由・・それには3つの成し遂げなければならないことがあったのです。

@神様の約束(預言)の成就のため イザヤ9の6 ミカ5の2
イエスさまが来られるためには長い歴史的な背景があるのです。
神様は苦しむ者に時機を得た助けを与えて下さるお方です。(ヘブル7の16)
イスラエルの民を400年の奴隷生活から解放するためにモーセを立て、約束の地カナンにおいては指導者として士師を立て、イスラエル王国の指導者としてダビデを立てられた。しかし、神様に選ばれたイスラエルの民ではあるが、ソロモン王の時代に分裂し、アッシリア、バビロン、ペルシャの捕囚の民となり、その度に神は「主に帰れ」と多くの預言者を立て、悔い改めの機会を与えられた。この暗黒の時代に預言者イザヤを通して神は具体的なメシヤ預言(イザヤ9の6)をなされた。(BC740年頃)やがてイスラエルはギリシャ、ローマの支配を受け、400年の暗黒の世
界へと入っていった。そんな時代にイスラエルにメシヤ待望信仰が復活した。その時、突如としてメシヤ到来を語り始めた人物が現れた。バプテスマのヨハネである。時が満ちたのである。(ガラテヤ4:4)そしてイエスさまを指して「見よ世の罪を取り除く神の子羊」と、預言の成就、救いの到来を告げ知らせた。

A救いの成就のため ルカ19の10
 イエスさまは、罪人を招かれ救いを与えられた。イエスさまは、一匹の失われた羊を求めるごとく、(ルカ15の4〜7)
救われるべき人々を求め、招かれた。(ルカ19の1〜10)しかし、自らを義人とする当時の宗教家たちは、イエスさまを拒否し十字架につけてしまった。しかし、この十字架こそ罪人を救う神の贖いの供えものなのです。イエスさまは罪人を救うために、十字架に架かられるためにこの世に来られたのです。

B律法を成就するため マタイ5の17
 イエスさまは救いの根拠となる律法を成就するために来られたのです。律法は神と私たちを結ぶものなのです。
(ローマ7:12)十字架の贖いが完成するためには、律法を完全に守られた方を必要とします。イエスさまは、律法を完全に守られた方であるから、十字架は有効なのです。わたしたちは、ただ十字架による救いを信じるだけで神に受け入れられ、神の子として頂けるのです。

 この三つのことを成就するためにイエスさまがこの世に来られた時、主の主、王の王としてではなく、仕える僕の姿となって家畜小屋にお生まれ下さったのです。私たちは神様のこのへりくだりの姿に心を打たれます。
(フィリピ2:6〜8)神の全存在をかけて、罪人の救いのために来て下さったイエスさまを心の王座にお迎えしたいものです。
 

2005/12/04(日) 「神の愛の壮絶さ」大嶋牧師
アドベント礼拝(3)(聖書)イザヤ9:6〜7 

本日はアドベント第2週目の礼拝です。
●クリスマスは神の愛が具体的にあらわされた日です。聖書に示された神を一言で言うと「神は愛」であると言う事です。その事は罪ある者を永遠の滅亡・死から救い出すために「ご計画」と「手段」を選ばない神の行動の中にあらわされています。
 今日のメッセージの題の中にある「壮絶さ」とは「大きさ」「熱心さ」「勇ましさ」を言います。では何故そのように言えるのでしょうか。

@まず、預言の中にその事はあらわれています。
 預言者は神の声を聞いて、信じてそのまま語るのが預言です。「ひとりのみどり子がうまれた。…万軍の主の熱意がこれを成し遂げる」とみ言にある通りです。この世に生まれる前にその誕生が預言されたのはイエスただお一人です。

A第2には、イエス誕生までの系図(マタイ1章)に神の愛の壮絶さがあります。
それはどんな系図を通してでも神の愛は実行されると言う事です。系図はユダヤ人にとっては完全でなければならない大切なものでした。その中に疑いがあってはならないものでした。イエスの系図には女性が4人あらわれます。これだ
けをとってみても当時のユダヤにとって見れば完全な系図ではありませんでした。イエスの系図には罪と恥の歴史を生きた人が入っているのです。
しかし、神はこのような系図び連なるイエスを通してこの世を救おうとされました。ここに神の愛の壮絶さがあります。

Bイエスがこの罪有る世に生まれられるために受肉されたところに神の愛の壮絶さがあります。
 それは何を失っても神の愛を実行される壮絶さです。それはヨハネ3章16節に「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」とあるように、神はこの世の一人一人を愛されました。

●アドベント第2週にあたって神の愛の壮絶さを改めて感じ取り、感謝と共になお一層信仰生活に励みたいものです。


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