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2005/12/11(日)
「イエスさまが来られた理由(わけ)」西脇衛士勧士
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アドベント(3)信徒礼拝 (聖書)フィリピ2章6〜11節 2000年前にイエスさまがこの世に来られた理由・・それには3つの成し遂げなければならないことがあったのです。
@神様の約束(預言)の成就のため イザヤ9の6 ミカ5の2 イエスさまが来られるためには長い歴史的な背景があるのです。 神様は苦しむ者に時機を得た助けを与えて下さるお方です。(ヘブル7の16) イスラエルの民を400年の奴隷生活から解放するためにモーセを立て、約束の地カナンにおいては指導者として士師を立て、イスラエル王国の指導者としてダビデを立てられた。しかし、神様に選ばれたイスラエルの民ではあるが、ソロモン王の時代に分裂し、アッシリア、バビロン、ペルシャの捕囚の民となり、その度に神は「主に帰れ」と多くの預言者を立て、悔い改めの機会を与えられた。この暗黒の時代に預言者イザヤを通して神は具体的なメシヤ預言(イザヤ9の6)をなされた。(BC740年頃)やがてイスラエルはギリシャ、ローマの支配を受け、400年の暗黒の世 界へと入っていった。そんな時代にイスラエルにメシヤ待望信仰が復活した。その時、突如としてメシヤ到来を語り始めた人物が現れた。バプテスマのヨハネである。時が満ちたのである。(ガラテヤ4:4)そしてイエスさまを指して「見よ世の罪を取り除く神の子羊」と、預言の成就、救いの到来を告げ知らせた。
A救いの成就のため ルカ19の10 イエスさまは、罪人を招かれ救いを与えられた。イエスさまは、一匹の失われた羊を求めるごとく、(ルカ15の4〜7) 救われるべき人々を求め、招かれた。(ルカ19の1〜10)しかし、自らを義人とする当時の宗教家たちは、イエスさまを拒否し十字架につけてしまった。しかし、この十字架こそ罪人を救う神の贖いの供えものなのです。イエスさまは罪人を救うために、十字架に架かられるためにこの世に来られたのです。
B律法を成就するため マタイ5の17 イエスさまは救いの根拠となる律法を成就するために来られたのです。律法は神と私たちを結ぶものなのです。 (ローマ7:12)十字架の贖いが完成するためには、律法を完全に守られた方を必要とします。イエスさまは、律法を完全に守られた方であるから、十字架は有効なのです。わたしたちは、ただ十字架による救いを信じるだけで神に受け入れられ、神の子として頂けるのです。
この三つのことを成就するためにイエスさまがこの世に来られた時、主の主、王の王としてではなく、仕える僕の姿となって家畜小屋にお生まれ下さったのです。私たちは神様のこのへりくだりの姿に心を打たれます。 (フィリピ2:6〜8)神の全存在をかけて、罪人の救いのために来て下さったイエスさまを心の王座にお迎えしたいものです。
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