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2005/12/04(日)
「神の愛の壮絶さ」大嶋牧師
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アドベント礼拝(3)(聖書)イザヤ9:6〜7 本日はアドベント第2週目の礼拝です。 ●クリスマスは神の愛が具体的にあらわされた日です。聖書に示された神を一言で言うと「神は愛」であると言う事です。その事は罪ある者を永遠の滅亡・死から救い出すために「ご計画」と「手段」を選ばない神の行動の中にあらわされています。 今日のメッセージの題の中にある「壮絶さ」とは「大きさ」「熱心さ」「勇ましさ」を言います。では何故そのように言えるのでしょうか。
@まず、預言の中にその事はあらわれています。 預言者は神の声を聞いて、信じてそのまま語るのが預言です。「ひとりのみどり子がうまれた。…万軍の主の熱意がこれを成し遂げる」とみ言にある通りです。この世に生まれる前にその誕生が預言されたのはイエスただお一人です。 A第2には、イエス誕生までの系図(マタイ1章)に神の愛の壮絶さがあります。 それはどんな系図を通してでも神の愛は実行されると言う事です。系図はユダヤ人にとっては完全でなければならない大切なものでした。その中に疑いがあってはならないものでした。イエスの系図には女性が4人あらわれます。これだ けをとってみても当時のユダヤにとって見れば完全な系図ではありませんでした。イエスの系図には罪と恥の歴史を生きた人が入っているのです。 しかし、神はこのような系図び連なるイエスを通してこの世を救おうとされました。ここに神の愛の壮絶さがあります。 Bイエスがこの罪有る世に生まれられるために受肉されたところに神の愛の壮絶さがあります。 それは何を失っても神の愛を実行される壮絶さです。それはヨハネ3章16節に「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」とあるように、神はこの世の一人一人を愛されました。
●アドベント第2週にあたって神の愛の壮絶さを改めて感じ取り、感謝と共になお一層信仰生活に励みたいものです。
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