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2005/02/13(日)
「あなたは良い地ですか」(聖書)ルカ8:4〜8 大嶋博道牧師
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●この聖書が書かれた当時のイスラエルの農業生活がこのみ言葉に反映されていて、当時の人々には良く分かる譬えでした。当時の種まきは、種の入った袋に穴を開け、人が背中に背負ったり家畜に結びつけ、袋の中の種を蒔く方法で種まきをしていました。 だから良い地に落ちる種もあれば悪い地に落ちる種も有ったのです。
●この聖書のヶ所は「末尾強調の法則」によって書かれています。即ち途中に出てくる言葉はさほど問題ではなくて最後に出てくる言葉を大切にして語る手法ですが、この聖書の譬え話しもこの最後の言葉に意味があります。そしてこの譬え話しの意味は8章11節〜15節に説明されています。
●12節にある「道端のもの」とは、み言葉が与えられたのだが、そのみ言葉が盗まれてしまって信じて救われる事のない人を指します。また、13節の「石地のもの」とは、喜んでみ言葉を受け入れるのだが、根がないので試練に遭うと、み言葉を捨ててしまう人を指します。そして、14節の「茨の中に落ちた」とは、み言葉を聞く事は聞くが、途中で人生の思い煩いや冨・快楽により実を結ぶに至らない人を指します。
●では、「良い地」とはどんな土地なのでしょうか。それは立派な自分ではないのです。 「良い地」とは神の言葉を命がけで慕い求める魂の事です。「良い地」については15節にその応えがあります。皆さんお一人お一人は良い地でしょうか。良い地の人とは次の三つの条件を満たす人の事を言います。
@立派な善い心でみ言葉を聞く人がその第一です。聞くと言う事がなければ私たちは神を知る事が出来ません。
A第二の事は「良く守る」と言う事です。この事は大変難しい事です。聞いたみ言葉を自分の中にしっかりと留め置くと言う事が大切です。でそのためには一体どうしたら良いのでしょうか。この一週間に皆さんがこの事を考えて欲しいと思います。大切な事は、自分の」行動基準」をみ言葉に置くと言う事です。
B最後に大切な事は、忍耐して〜実を結ぶまで耐え忍ぶと言う事です。
●もし、今、心の状態が道ばたであったり、石地であったり、茨であったりするかも知れません。心配しないで、神様との霊的な交わり、み言葉への謙虚な傾聴、継続的な祈りをとおして「良い地」に変えて頂きましょう。 私たちは聖書のみ言葉に押し出されて人生の難問に立ち向かう時に本当の充実した人生があります。皆さんの心が、み言葉を受け入れ、豊かな結実を見る「良い地」でありますように。
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