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2005/02/28(月) 「共に歩む生活」(聖書)コロサイ3章1節〜17節 西脇衛士勧士
 愛する者と共に歩む生活をすることほど楽しいものはありません。二人は一体となり、喜ぶ者と共に喜び、悲しむ者と共に悲しむ(ロ−マ12:15)
運命共同体となるのです。信仰とは真にイエス・キリストとの結婚を意味します。

○今朝コロサイ書に記されている「共に」という言葉の中にある大きな恵みを学びたい。
コロサイ書の中に「キリストと共に」という言葉が7回出てくる。キリストと私は一体とされ、運命共同体として、キリストと共に葬られ、復活させられ、共に生かして下さったのである。
(2:11〜13) しかし、私達は以前は神から離れ、悪い行いによって、心の中で神に敵対していた者(1:21)であったが、今やイエス・キリストの十字架によるあがないにより、その死によって神と和解し、神の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者(1:22)として下さった。

 ○パウロは「このような素晴らしい立場を与えて下さったのだから、地上のものを求めるのではなく、上(神)にあるものを求めなさい」と言っているのである。ここでパウロは対比したことばで説明している。
脱ぎ捨てることと身に着けること、古い人と新しい人である。では、

何を脱ぎ捨てるのか。
「みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、貪欲、(3:5)怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉(3:8)であり古い人をその行いと共に脱ぎ捨てなさい」と言って
いる。

何を身に着けるのか、「憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身につけなさい(3:12)これら全てに加えて愛を身に着けなさい(3:14)」と言っているのである。
 
○しかし、クリスチャンになってもなかなかこの聖霊の実をつけられずに苦しむのである。
その解決にはもう一つの共にがある。それは「キリストと共に十字架につく」ということである。(ガラテヤ2:19)それは完全な自己放棄であり、この世に対して死ぬという経験である。この世に死ぬとは、自分を全く無にし、またこの世の価値観で生きるのではなく、神の前に、人の前に全くへりくだり、神の価値観で生きるということである。その時キリストの平和が与えられ、キリストと一体とされるのである。私はキリストの内に在り、キリストは私の内に在るというのである。これは世々にわたって隠されていた奥義である。

 ○ですから私達は日々主と共に歩く者でありたい。その為に(3:16〜)みことばを豊かに宿らせ、主の教えを学び、語り、さんびと感謝をもって生活したいものである。「エノクは
神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」(創世記5:24)今までのむなしい生き方をやめ、私達も主と共に歩む生活をなし、エノクのごとく神の国へ導き入れられたいもので
ある。             


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