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2005/05/22(日)
「さらに良いぶどう酒が」大嶋博道牧師
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フレンズサンデー礼拝 (聖書)ヨハネ2:1〜11 序 論: ヨハネ2:1〜11の出来事には、2000年を経た現代においてもなお、幾つかの学ぶべきことがあります。(3/12土に聖地旅行で「カナ」を訪れました) @ 婚礼の祝いの真っ最中に「ぶどう酒」がなくなった。(2:2) 当時の婚礼の祝いは一週間続くのが慣例でした。そして婚礼で一番大切なのは「ぶどう酒」だったのです。詩編104:14に「ぶどう酒は人の心を喜ばせる」とあります。ぶどう酒がないなら喜びもなくなり、従って婚礼の祝いの終焉を意味しました。 私たちの人生にも、仕事や家庭生活において突然襲ってくる試練によって「ぶどう酒」が尽きることがあります。そのことをこの出来事は示しています。 Aイエス・キリストご自身には聖なる時がある(2:4) では、「ぶどう酒」が尽きた時にはどうしたら良いのでしょうか。婚礼の場に居合わせた母マリアは息子イエスに「ぶどう酒」がなくなった事実を伝えました。主イエスは「婦人よ、わたしとどんな関わりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」と、言われました。母マリアに対する理解しがたいイエス様のお言葉です。私たちはこの言葉をとおして、主イエスには神の子としての、人間に束縛されない、自由な「聖なる時」があることを学ばなければなりません。「イエスの時」とは、十字架に架かり、贖いの業を成し遂げられる時、死人の中から復活される時、そして天に帰られてやがて再びこの世に再臨される聖なる時でありましょう。 たとえ、母と言えども、イエス様の「聖なる時」を勝手に変えることはできないのです。
B「奇跡のみ業」を信じて準備して待つことの大切さ(2:5〜6) しかしながら、一見、母の願いを突き放すような冷たい言葉に感じられますが、にもかかわらず、母マリアは召使いにこう言われました。「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしなさい。」 2:7を見ると、イエス様が言われるままに、召使いたちは6つの水がめに水を満たしたとあります。奇跡がなされるためには、信じて準備し、イエス様のお言葉に従うことが大切なのです。 C 「信仰生活」は最後がさらに祝福される! 2:9〜10を読むと、婚礼のお祝いの世話役たちの驚きと戸惑いと喜びが感じられます。自分たちは水がぶどう酒になったことを知らなかったこと、従って、こんな良いぶどう酒をどこにしまっていたのか?ある聖書の訳では、世話役は花婿を呼びつけてこう言ってます、「良い酒は先に出すものだ。質の落ちるヤツは酔ったころに出すんだ。お前ときたら、今まで良い酒をとっておいたのか。」 まとめ: 信仰生活は祝福です。それは、永遠に続く祝福なのです。そして、それは、日々、新たに造り変えられるすばらしい祝福なのです。ある牧師がキリスト教のことを「雨のち曇りのち晴れ」と言いましたが、私は、キリスト教信仰は「雨のち曇りのち晴れ、そして最後は快晴」と付け加えたいと思います。信仰生活は「さらに良いぶどう酒」が豊かに約束されています。そのように信じて歩みたいと思います。
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