|
2005/05/09(月)
「神のみ手に委ねなさい」大嶋博道牧師
|
|
|
(聖書)マタイ6:24〜34 序 論 ●今日の御言葉から学ぶ中心的な事は「あなたを神のみ手に委ねる」と言う事です。 では何故私たちは思い煩うのか? 私たちの生活の重要な事が私たちの心を虜にしてしまう、支配するという事が「思い煩う」という意味です。私たちは当然に、不確かな明日に不安を持っています。否、持ちます。 2000年前から今日に至るまで人は誰1人として思い煩いのない人生を生きた人はいません。そして今もすべての人は例外なく思い煩いながら生きています。 ●では人は何故思い煩うのか?それは、 @生きているから思い煩うのです。 A人は人生が自分の思い通りになると思い込み、そしてその通りにはならないから思い煩うのです。 B人は自分の持っているもので満足しないから思い煩うのです。 C人は他の人と比較し、競争してしまうから思い煩うのです。 D人は自分の不確かな明日を神様に委ねきって生きていけないから思い煩うのです。 本 論: ●今日のみ言葉には「思い煩う」という言葉が何度となく出てきます。ではイエス様が言われたように、思い悩まずに神のみ手に委ねて生きていける根拠は何処にあるのか。 それは次の2つの事にあります。
@それは6章26〜27節に「見なさい」と言う言葉が出てくるように「空の鳥」「野の花」を見て、そしてその花・鳥にも神様がご配慮されている、そのようなものにも美しく装ってくださり養っていてくださっている「神様」を見る事にあります。
A次に大切な事は神様は私たちが必要とするものをご存知であると6章32節にあるように神は私たちの必要を知っていてくださると言う事にあります。 それはあのアブラハムが一人子のイサクを生贄として捧げようとした時に「小羊」の捧げものを予め準備してくださったように神様は私たち人間が必要としているものを知っていてくださるのだと言う事を知る事により、思い煩う事なく生きていけるのです。
●箴言27章1節に「明日のことを誇るな。1日のうちに何が生まれるか知らないのだから」とあります。明日の事は神様の領域なのです。 だから私たちは明日の事で思い煩う事はないのです。
|
|
|