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2005/06/12(日) 「偽 善 者」 畑中康雄勧士
信徒礼拝  

序 論:
●この聖書の箇所は、天国の民の行為の動機が「偽善」であってはならない事を「施し」(1節〜)、「祈り」(5節〜)、「断食」(16節〜)の3つの例によって教えられています。この3つが取り上げられたのは「施し・祈り・断食」が当時のユダヤの3大善行と言われていたからです。

●偽善的な行為とは己を神としてしまう様な行為を言うのです。偽善と形式主義に陥り自己満足となり自分が律法となってしまっている事が、何れは神様の十字架と復活という光に照らされる時に暴露される行為を言います。「偽善」とは「本心からではなくて、うわべだけ繕ってする善行」の事を言いますが、私たち人間は弱い存在です。誰一人として完全ではあり得ないのです。
 パウロもロ−マの信徒への手紙7章15節この事を言っています。

本 論:
●さて、「偽善者」として「うわべだけの繕いの善行」であっても、一生涯、一度も仮面がはがれる事なく過ごす事ができれば、この「偽善者」はもはや「偽善者」ではなくてある意味で「善行者」であったと考える事が出来るかどうかと言うことですが、この所については大嶋牧師からコメントをいただいています。
 それは、人はやはり罪ある存在なのだから「罪ゆるされた罪人」「義とされた罪人」として神の憐れみによって「良き業に勤しむ」事が大切であり、善行者であったかどうかという事はやがて天国で神様がご判断されるのではないか、と言う内容です。(マタイ25章14節〜40節参照)

●つまり、人はどんなに善行に励んでいても、また仮面がはがれてもはがれなくても所詮は神様の前では罪人であり十字架の贖いを必要とするのですから、仮面がはがれなければそれはそれで良いのではないかというのは誤解を生むのではないか、と言うコメントをいただいています。まさにその通りだと思い
 ます。裁きは人が判断する事柄ではなくて、神様がご判断される事柄です。
 だからこそ、常に善き業に励む事が大切だと思います。

まとめ:
「人はもともと罪ある存在ですから、神の恵みと義の賜物を願いつつ」神様に喜ばれる善い行いが出来るように、そして一生涯あるがままに精一杯、愛の業に励む事によって栄光を神様にお返し出来るようになりたいと祈ります。


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