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2005/07/10(日)
「この時代に仕える」〜キリスト者の献身とは?大嶋博道牧師
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伝道献身者奨励礼拝 (聖書)イザヤ6:1〜8,ローマ12:1〜2 序 論: ご存じのように、イザヤ書6章は「イザヤの召命」の出来事が詳細に記されています。この中には大切なポイントが3つあります。 @「ウジヤ王が死んだ年のことである」(6:1)という書き出しで始まる「時代の変化に伴う危機的状況」であります。時は紀元前740年頃のことです。 Aイザヤ自身の生涯を決定する出来事となった「神殿での神秘的な宗教体験」です。 Bしかしながら、神との出会いの体験は、罪の徹底的な「赦し」と共に、時代の中に「派遣される」という「神の召命」にあずかる結果となったのです。(6:8)
●ところで、「献身」とはどういうことなのでしょうか? 狭い意味での「献身」とは、伝道者・牧師になること(直接献身)を意味しますが、より広い意味での「献身」は、キリスト者すべてに期待されているもので、 (1)まず、私たちが神のみ手の中にあること、神の懐に抱かれていることに対する日々の確認と確信です。 (2)この確認と確信に基づいて、私たちキリスト者が自分自身を主の御前におささげしていくということです。 具体的には、日常生活の中で、私たちの時間を、財を、賜物を、愛の業を、奉仕を主のために捧げていくということです。 本 論: 今朝は「この時代に仕える」キリスト者の献身のあり方をパウロの手紙から学びたいと思います。 ローマ12:1〜2を共に開きましょう。 (1)自分のからだを聖なる生きた供え物として献げること。 「聖」という言葉は、分離されているとか、区別されているというのが、もともとの意味です。そこから、聖という言葉には、キリストによって神様の「専用品」とされているものという意味があります。主に贖われ、主の専用品とされた私たちは、日々、主の十字架を背負い、主の苦悩にあずかりたいものです。 (2)この世に倣わない。(妥協しない) 英語の[conform]は、順応する、適合させる、従うと言う意味です。ギリシャ語のススケーマ「型にはまる」から来ているわけで、ある訳では「この世と調子を合わせる」とか「妥協する」となっています。キリスト者はこの世で生活しておりながら、決してこの世と歩調を合わさず、むしろ、神の御心に沿った歩みをしたいものです。 (3)心を新たにすることによって、神に造り変えていただく。 心の一新と神による変容こそ、この世に倣わず、この世と妥協しない生き方です。「神に造り変えていただく」(メタ・モルフェー)はさなぎが蝶に羽化するとき、ちょうど醜いさなぎが、きれいな蝶に変わる、その変化を指している言葉です。パウロの言葉で言えば「新しく造り変えられる」であります。」 まとめ: 伝道献身者奨励日の礼拝にあたり、私たちすべてのキリスト者が、神に召された献身者であることを確認し、それぞれの生活の場で主に仕えて行きたいと願います。
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