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2005/07/03(日)
「見よ、新しいことを行う」大嶋博道牧師
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総員礼拝 (聖書)イザヤ43:16〜20 序 論: 今朝のメッセージは、「新しく造り変えられたい=自分の人生をもう一度新しく整えたい」と、願っておられるすべての方々に語られたものです。 まず、今朝の聖書のテキストを少し学びましょう。 16ー17節の御言葉 この出エジプトの出来事はイスラエル民族の出発点であり、イスラエルの存在は出エジプトという神の救いの業にかかっていると考えられていました。そしてイスラエル人たちは絶えずこの神の救いを思い起こして、将来に希望をつないだのです。 しかし18節で、神様は、この昔のことを忘れてしまえ、思い出すな、と命令されています。そして19節にこう書かれています。 「見よ、新しいことをわたしは行う。・・・わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる。」
本 論: 今朝のテーマは「新しいことを行う」ですが、そのことを心に留めながら、3つのことを学びたいと思います。 (1)誰が新しいことを行うのか?(新しいことを行う主体はだれか?) ・それは「主なる神」です。(42:8〜9)―世界の主、私たちの主、私の家庭の主 ・それは「創造主なる神」です。(43:1)―人間とこの自然世界を創造された主 ・それは「聖なる神」です。(43:3)―罪や汚れを赦さず、常に聖さを示される主 ・それは「救い主なる神」です。(43:11)― 人間の罪を贖い、救いに導く主 ・それは「永遠の神」です。(43:13)―天地創造から世の終わりまで共にいる主 ・それは「王なる神」です。(43:15)―すべてをご自分の手に支配しておられる主 (2)「新しいこと」とは何か? それは 1・神に背いた罪が赦されるということ (43:25) 2・その結果として、70年に及ぶバビロン補囚から解放されて、再び、神の都エルサレムに帰還がゆるされ、国が再建されるということ ひとことで言えば、「回復」であり「再生」であります。 (3)「新しいことが起こるため」にどうすれば良いのか? エレミヤ29:11からそのことを学びましょう。 主の御名を呼び求めること―この旧約のみ言葉をヨハネ15:5のみ言葉で表現するならば「主イエス・キリストに信仰によってつながり続ける、結びつく、留まり続けること」です。パウロ的に言えば「キリストと結ばれる人は誰でも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」ということです。 まとめ: 今日も、今週も、新しいことが行われるために、主の御名を呼び求め、主に結びついた信仰生活を続けたいものです。
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