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2005/08/21(日)
「どのように生き、死ぬのか」大嶋博道牧師
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聖日礼拝説教 (聖書)ローマ14:7〜8 序 論: (1) まず、人間とは何か?を聖書から定義しておきましょう。 @人間は神に造られた「被造物」である。(創世記1:27) A人間は生きる存在である。(創世記2:7) Bしかしながら、人間は、「罪」の存在である。(ローマ3:23) @「人間は死に至る存在」である。(哲学者のハイデガーの言葉) Dしかしながら、人間は神の賜物である「永遠の命に至る存在」であ る。(ローマ6:23)
(2)人生の生きる目的は何か? 作家の五木寛之さんは「人生の目的は、“自分の人生の目的”をさがすことである」と述べ、ある人は「私は、そのために生きたいと自分が心から思えればそれは何でもいいと思います」と述べています。 では、聖書が教える」「人生の目的」を紹介しましょう。 使徒パウロは「わたしたちは生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。・・・」 (ローマ14:8)と、生きる目的を明らかにしました。 本 論: 人はどう生きて、どう死ぬのか? アメリカの哲学者レオ・F.バスカーリア博士は絵本の「葉っぱのフレデイ」をとおして人生の生き方と死に方を説明しています。ここから学ぶことは、
@人はいつか死ぬ。だからこそ命を大切にすること。と共に、葉が変わるように私たちも変わる。死ぬこともまた変化の一つで、決して恐ろしいものではない。
Aどう生きることが人生の目的を遂行することになるのか?それは自分で考え、決断し、行動すること、つまり主体的に生きて自分の使命をまっとうすることであります。生きるということは、自分を必要としている他者に応答すること(response)です。なぜなら、私という存在は、たった一人でここにあるのではなくて家族・友人・社会といった切り離すことが出来ない関係の中におかれているからです。 「生きることは問われていることに答えること」(フランクル)
まとめ: 人生の目的は人によって異なります。しかし、聖書ははっきり述べています。「神の愛に応答して互いに愛し合いながら生きることである」と。愛を完成させる―ここに人生の究極的な目的があります。そのために @気づき、 A決断し、 B行動(応答)し続けたいものです。 2テモテ4:6〜8を読んでお祈りしましょう!
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